再度西へ

この週末も関西であった。町田の鈴木工務店の主からの問いかけで、聴竹居を訪問することになったのである。この機会にと待庵、水無瀬宮燈心亭にも予約を入れてもらう。待庵は数十年ぶり、燈心亭も十年ぶりか。午前10時に待庵へ。われわれは前日乗り込んだが、同道の半田さんは当日5時過ぎに家を出て合流。
妙喜庵は書院と書院明月堂からなる。書院は重文。待庵はそこに付属する。言うまでも無いが利休の作。1582年、天王山の合戦のおり秀吉が作らせその後ここに移築されたという。国宝、二畳隅炉のわが国を代表する茶室である。
燈心亭は後水尾天皇が作らせたという茅葺きの茶室、重文、これは17世紀初頭のものである。ただし様は大きく異なる。秀吉対利休の緊張と武の台頭の中で文に逃避する天皇の好み、の極端な違いであろう。燈心亭は以前聴竹居に奥村夫妻を伴い訪れた折に奥村さんからの発意で立ち寄ったことがある。様々な草本を天井の装飾に使う。建具の下部の水引模様が目を引くがこれは唐来もの、南方から輸入されたラタンでつくられているという。久しぶりにこの二つの建築を観ることができ、よかった。
待庵を辞した後、大山崎山荘を見、昼飯を踏み切りの端にある新しい店で摂った。蔵を移築し店とし、母屋は土載せ屋根がある本格的木造、景観になじむ。テラスに石窯がある。安藤邦廣さんの設計であることを店の人に聞く。鶏肉のコンフィとサラダ、とりわけ石窯で焼いたパンがおいしい。
午後は今回の主なる目的地聴竹居である。ここはいまボランティアの手により管理運営されている。その方々の世話になり見学させていただく。私は何回もここを訪れているのだが、あらためて大工の仕事のよさに驚く。そしてこの家の異常とも思える電化ぶりを確認する。このことは先日上梓した「パッシブハウスはゼロエネルギー住宅」で触れている。分電盤の大きさは80年前でなくてもただ事ではない。ボランティアの手により巨木と化した木々が整理され風通しが改善されている。建物にとって良いことであろう、が、以前鬱蒼としていたところに巨大なマンションが見えるのは幾分困った。とはいえ早々にまた植物が繁茂するだろう。
先の燈心亭はその後午後3時からの訪問であった。燈心亭へはいくつもの鉄道道路河川が通るこの地の工場に囲まれた殺風景な道である。燈心亭見学の後、サントリー山崎工場へ何とか間に合いウイスキーのテイスティングをする。もちろんこの日初めてのアルコールである。その後京都市街で飯。一日が終わる。とても能率良く、山崎をぐるっと周遊する旅であった。半田さんの万歩計約14000歩。

実は鈴木さんと聴竹居を訪れることになったのは可喜庵で開催される「デザインサーベィとしての昭和建築家」,四回シリーズの講演会にこれが登場するからであった。講師は矢野和之さん、矢野さんは大学で鈴木さんの先輩に当たる。ご興味のある方は参加を申し込まれたら如何だろうか。
http://www.suzuki-koumuten.co.jp/KAKI-AN/kakian-top1.htm
by noz1969 | 2009-03-31 20:16 | 日記
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