自宅の話          『住宅建築』2008年1月号

自宅ができ15年ほど経つ。ここで娘が育ち猫が高齢になった。庭のせんだんが巨木になり竣工の後に植えた夏みかん、こぶし、果林などの樹木―果林だけはどうしてか枯れてしまったが-は元気に繁茂している。夏みかんは毎年実を付け昨年は大量のマーマレードを作った。当時まだ少しだがあった周辺の雑木林が姿を消し、味気が無くなって、我が家のみどりはますます特別なものになりつつある。
意識していたわけではないが,阿品土谷病院を奥村昭雄と考える中で、設計という作業の中の戦略とでも言うべきものは今予測できる最善の根拠の集合によらなくてはならないとの考えが実感となったのかもしれない。いつの間にか鉄骨造としていたし、地下室を考えていた。少ない資源による架構、自然エネルギーによる環境制御、特に後者は奥村と数年にわたり取り組んでいたものそのものでもあった。
架構は小島孝さんにお願いした。中量鉄骨での設計を提案してくれたのは彼である。これによって重過ぎない、軽すぎないとてもいい架構が実現した。サブビームにハブマイヤートラスが現れたのははたぶん私の頭のどこからかであろう。後は皮(スキン)である。開口部は自由に決めることができる。ここはアメリカのアルミを表面にクラッドした木製建具である。それから断熱材の充填された壁、コンクリートブロック積みの壁によった。当時ペアガラスは高価でありアメリカ製木製サッシの選択は最適なものと考えた。確かガラスの値段でサッシが付いてきた。ただサイズは既成が条件であった。実は逆転しているのだが既成サッシの寸法が梁下の高さを規定している。ハブマイヤートラスは結果としてきわめて低い梁下寸法を片付ける策として思いついたものであり、はじめから考えていたものではない。ブロックは主に妻壁の室内側に積んだ.蓄熱部位を増やしたいと考えてのことだ。外部は断熱しコルゲート鉄板で覆ってある。
庇などのグレーチングの多用も何とか理屈で作ろう、との結果であろう。シェルター、エンベロップがありそれの付属物という序列。部材のデザインは面白かった。オープンな部材で作るその面白さと既製品、出来合いの不自由。ただ結果、庇なしの建物の難しさも学んだ。この春の改修は主にそれのよっている。いわむらかずお絵本の丘美術館以降の2,7mを越える庇はこの結果によっているのかもしれない。今年竣工した別荘では南面を1,8mの庇とし北面を壁まで金属板で包み庇なしとすることを試みた。中途半端が面白くない。清家さんに学ぶのはこのことである。スケルトンインフィルの徹底の面白さ、どんな「設え」であれ豊かに受け入れる懐の深いサステイナブルな「架構」=スケルトンを考える面白さ。細やかな技や芸による住宅設計を超える面白さがそこにあることではないかと思う。
by noz1969 | 2001-12-28 05:32 | 『住宅建築』
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