JIKU 深沢直人さんの書評 吉村順三「建築は詩」

偶然JIKUというサイトに出会った。そこに「建築は詩 建築家吉村順三の言葉100」の書評があった。深沢直人さんの手になるもの。AXSIS紙上に掲載されたものの再録のようだ。この書籍は2005年、芸大美術館で催された「吉村順三建築展」の折に刊行されたものだ。奥村が去った今、吉村順三の仕事に直接関った人々がますます少なくなっていくことになるのはいたし方がない。私の目にこの記事が今日飛び込んだのは何かの因縁かと思う。幾分の躊躇はあるが 公表されている記事である、より多くの人に触れていただきたい。転載させていただくことに問題は無いのではないかと考えた。お許し下さい。以下書評

「そうなんだよな」

 友人と喋っていたときに、私がちょうど読んでいたこの本がテーブルの脇にあった。友人はぱらぱらと本のページをめくりながら、私の話を聞いていたが、だんだんうわのそらになって、興味が本に移っていくのがわかった。建築家・吉村順三の言葉を、氏の存命中に活字となった新聞、雑誌、書籍から選び、まさに詩のように集めたもので、1編が300字から400字程度の語りで完結しているからさくさくと読めてしまう。そしてその言葉は淡々として深く、建築の心を、あるいはものづくりの心を確かに捉えていた。1つを読んですぐに次の語りが読みたくなる。友人の興味が吸い込まれるようにこの本に移っていったのがよくわかる。

 「なるほどなぁ」「やっぱりそうだね」と当たり前のようなことに感動するということは、今の時代がよほどねじまがって混沌としている証拠だと思えてくる。淡々と当たり前のことが語れるということは、易しくはない。そこまでやってきた仕事への情熱とか、経験に裏打ちされた思想や、質の探求と継続があってこそのことだと思う。吉村順三が最近多く話題に上るのはなぜだろう。混沌とした時代に、常に真理と誠意を貫いて建築を見つめてきたからなのだろうか。日本という風土のなかで人間の住み心地を考えてきたから、今の人々に「やっぱりそうか」という感触を与えているのではないだろうか。
 人は自分が生きている今より前に、もっといい時代があったのではないかと想像しがちである。最近は、世界がどんどん良くなっているというふうにはなかなか思えず、今が最悪のときだと思ってしまうことさえある。しかし、過去の偉大な作家たちの言葉がみな、その時代の危なげな状況に警鐘を鳴らしていることをみれば、やはりその時々でさまざまな問題を抱えていたことがわかる。吉村順三も混沌のなかで建築家として戦ってきたのだろうが、彼の作品を見ていると、いい時代があったのだろうと思えてくる。その時代の良さに戻りたいと思ってしまう。

 先達は常に偉大な言葉を残しているが、そのどれもが当たり前で、単純である。文中の言葉はどれもとてもいい。「誠実さ」の語りでは、「……建築における誠実さということは、ちょっとわかりにくいかと思うが、これは建物の目的を忠実に解決する、ということだと思う。いいかえると、建築の造形を誇張しないことである……」といい、「品」では「……品のあるものは、“必要なものだけ”で構成されていることが多い」といっている。また「一本の線」では「……よく事務所の連中にいうんですよ。“きみたちがなにげなく直線をさっと引いたために職人も泣くしクライアントもよけいな出費をする。そのうえホコリなどたまって外観もきたなくなり、みんながいやな思いをすることがあるんだよ。だから1本の線が大切だ”とね」。
 結局友人はその場でこの本を読み始めてしまった。そして、ぽつっと言った「そうなんだよな」と。(AXIS 121号 2006年5・6月より)
by noz1969 | 2013-02-18 15:53 | 日記
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