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展覧会「加地邸をひらく-継承をめざして」

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展覧会「加地邸をひらく-継承をめざして」のお知らせ

このたび、神奈川県葉山町の「加地邸」(遠藤新設計/1928年竣工)を会場として、展覧会「加地邸をひらく-継承をめざして」を開催することになりました。

葉山の高台に建つ加地邸は、F.L.ライトの高弟である遠藤新が、建築、照明器具から家具に至るまで総合的に手掛けた極めて重要な住宅建築であり、隅々にまで意匠の凝らされた興味深い作品です。これまで、所有者の意向により、一切公開されてきませんでしたが、今秋に初めて、世代交代への準備として、本邸を公開することになりました。

この貴重な別荘建築が、地域において幸せに引き継がれていくことをめざし、本展覧会で、その第一歩を踏み出したいと思います。

http://hhtrust.jp/news/

https://ja-jp.facebook.com/heritagehousing
by noz1969 | 2014-08-29 11:17 | 日記

世田谷区役所、再生の模範として

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世田谷区役所の解体が画策されている。長崎市公会堂といい、なぜこれほどに昔のものを壊したがるのであろう。どこかがおかしい。大手のコンサルは決まって床のクラックなどを並び立て解体を誘導する。どうして歴史を大切にし、積み上げられた風景を素敵だ、と思わないのか。

改修され結果、何も考えていないひどい出来の駅で「きれいになったわね」との女性の声を聞いた。新しい=きれい とはなんという短絡であろう。「かわいい」ですべての評価が決まる幼児性とつながる不幸なのかもしれぬ。

戦後すぐに手がけた建築がそのままに使われている。痛みもあるがこの間の改修もひどい。放置されていることも問題である。

50年前の日本の姿は誰も覚えていない。すべては変わってしまっている。吉阪隆正の大学セミナーハウスも50年。当時の写真に写る柚木村の家々はすべて茅葺きであった。当時人口17万の世田谷区にもそうした風景があったはずである。その経済力の中で建設された区庁舎と区民会館は戦後の夢そのものであったのではないか。時間がたどれる重層した風景はきわめて大切な教科書であろう。改修し使い方を変え使い続ける、新しい区役所は其れを前提に考える。役所機能はすべて新しい建物に移せばよいではないか。必要という45000㎡は残りのエリアに建つのである。

小さなシンポジウムが企画されています。会場の都合で定員が限られていますが。参加ください。

9月10日(水)18:30から 
世田谷区宮坂3-13-13生活クラブ館地下一階カフェ&ダイニングmotomoto
JIA世田谷地域会 申し込み先 03-3439-4726(FAX)
                    skyland@jcom.home.ne.jp(E-mail)
by noz1969 | 2014-08-25 15:19 | 日記

砺波にて 付

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砺波で散居村集落を見のたが 中島家住宅の見学では砺波郷土資料館の方にお世話になった。住宅が資料館が管理運営し公開しているものであった。そして予想外の建築に出会う。郷土資料館の建築が、旧中越銀行本館の移築した壮大な擬洋風蔵造りのものであったのである。。以下に転載したが、長岡平三が基本設計、地元の大工によるものということだが、たしかに外見は蔵造りではある(ただし残念ながら移築、タイル張りに改修されている。本来は黒漆喰である)が、室内は壮大な二階吹き抜けの大空間であり、「伝統の土蔵の架構」では不可能と思われる架構である。詳細は不明だが木造トラスによるものか、と推測する。そうであれば長岡のかかわりは基本設計を超える詳細にわたるものであったのではないか、とも考えた。鏝絵による洋風のレリーフなど当時の職人の技が輸入された意匠を作っている。ところで長岡平三とは?

http://takaoka.zening.info/Tonami/Modern_Building/Tonami-Kyodo-Shiryokan_Museum.htm


全国でも五指に数えられる立派な土蔵造りの銀行建築
 中越銀行は、砺波地方の豪農や豪商によって1894年(明治27年)12月に設立されました。この建物は、中越銀行の本館として、当時の東砺波郡出町大字杉木新村272番地(現在の砺波市本町3-25、富山第一銀行砺波支店のある場所)に1909年(明治42年)7月に建てられました。総工費は、4万5000円でした。
 概要設計は、東京の建築設計技師・長岡平三が行い、実施設計と工事監督は地元の藤井助之焏(ふじい すけのじょう)が行いました。洋風を取り入れた木造土蔵造りで、一部にレンガを使用しています。屋根は破風の大きい入母屋で妻入り、三方に下屋を下ろし、後方にT字型に入母屋屋根を組み合わせています。前口16.3メートル(9間)、奥行き18.8メートル(10間)に正面玄関を設け、建築面積308.8平方メートル、軒高9.1メートル、総高14.3メートルとなっています。内部は吹き抜けの営業室を中心に三方をロビーで囲み、後方は一階に金庫室とその両側に応接室、二階は会議室になっています。化粧材は全て檜を使い、全体をコリント様式(アンカサス装飾)の彫刻でまとめています。建築当初の屋根は本瓦葺き、外壁は黒漆喰塗りでしたが、後に銅板本瓦棒葺き、スクラッチタイル壁に改装されました。
 中越銀行は、太平洋戦争中(1943年(昭和18年)7月)に一県一行の国策により、十二銀行、高岡銀行、富山銀行と合併し北陸銀行になり、この建物は北陸銀行・砺波支店となりました。
 1978年(昭和53年)の都市改造事業のために取り壊されることになりましたが、北陸銀行が建物および移築費を砺波市に寄付し、1989年(昭和54年)に現在の場所(チューリップ公園の一角)に移築復元されました。1982年(昭和57年)に砺波市文化財に指定され、1983年(昭和58年)4月に砺波郷土資料館として開館しました。
by noz1969 | 2014-08-16 17:43 | 日記

富山と仙台

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日月曜は台風の余波の中、富山であった。仕事であったが井波、砺波と岩瀬には立ち寄る時間をつくった。井波 瑞泉寺見学。石垣に一向宗の思い。砺波 散居村のミュージアムは始めての訪問。そこでお教えいただいた、旧中島邸は迫力があった。茅葺き200年ほど前のもの。公園内に移築、茅葺きの姿は偉容。。南と西に屋敷林を持ち田んぼの中に散在する独特の散居の形態は大きな東向きの切妻屋根いわゆる「あずまだち」である。が、本来はここで見るような急勾配 入母屋茅葺きであったとのこと。圃場整備が盛んに行われた40年ほど前にほとんどの家が切妻あずまたちの今の形に改修されたのだという。典型としてのあづまだち、入道家を見る。
翌朝 岩瀬へ。トラムの壁にdesigned by GKの文字 岩瀬の町並み 北前舟の経済力を彷彿。森家を見る。例により饒舌な解説付き。倉敷紡績の岩瀬工場閉鎖の折、この家が公共に寄贈されたことを聞く。大原家と岩瀬のつながりに驚く。隣は今も現役の馬場家である。解説に寄れば岩瀬一の回船問屋が馬場家、森家は第三位であったとのこと。その馬場さんと吉田鉄郎との縁。ここにくるといつもそれを思う。
火曜は仙台。帰省で新幹線は満席。進行中の建物の上棟である。あいにくの雨天ではあったがすがすがしい式典であった。木造平屋、比較的大きい、シンプルな架構の建築である。秋の終わりの竣工予定。
by noz1969 | 2014-08-13 14:47 | 日記