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カニングハム邸訪問

所用あり 先日カニングハム邸を訪問した。なんともいえない時間であった。レーモンドの住宅建築のひとつの頂点か。新発田の教会、軽井沢のレーモンド邸、三重大学内にある旧図書館などに比べると「丸太」の露出は思いのほか少ない印象だが。よく見ればすべての独立柱も吹き抜けにある丸太二つ割の頬杖もすべて丸太なのである、ラワンベニアの壁天井の印象が強いせいかと思うが 紛れもないレーモンドの建築である。空間は思いのほか大きい。ピアノを中心とした音楽室であることを前提とした空間の故であろう。
ところで レーモンド関連のことで驚く「事件」がある。戦前に刊行された「アントニンレーモンド建築詳細図譜」が復刻刊行されている。鹿島出版会から。16000円。表紙の布地 リング綴じの装丁、紙質まで かなり忠実な復刻である。こんな企画がこの価格で実行できるとは!最近の出版界が力を失っているという中でこんなことができるとは本当に驚きである。この調子でいけば「アントニンレイモンド作品集」の復刻もあるかも知れぬと思った。期待しよう。
by noz1969 | 2014-05-28 15:31 | 日記

関西へ 「箱木千年家」へ

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大分以前のことだが一時 あるデザインスクールで教えていたことがある。その折学生であった人との同窓会が週末京都であった。デザインスクールの建築科には他の大学で何らかの学業を積み卒業をし後にここに再度入学した、という人もいた。当時大学は闘争の余波を受け十分な教育を行う環境でなかったこともその原因であったのであろう。彼らと私との年齢差はごくわずかなものであった。久しぶりに大昔を懐かしく思った。
大阪泊 の翌日、懸案の「箱木千年家」を訪ねた。学生時代からだから半世紀の懸案であっていまだ見ていない住宅である。そのころの「箱木千年家」は写真によるものであったのだが驚くほど大きな一続きの屋根が印象深いものであった。ダムの工事に伴い以前の位置から70メートルほど移動、再築された姿は 室町期の部分と江戸期の部分に分離され中間部を埋めていた諸室が取り払われた姿になっている。考証の結果であり文句はないのだが、室町期の部分は当然ながら江戸以降は改修され江戸期なりの姿になっていたのである。それが室町期のオリジナルに復元されたということで、ここにあるそれはそれで見事にすごい。特に恐ろしく低い茅葺きの屋根とその内部の見上げるようなすがたには圧倒される。いわば大きな竪穴住居が地上1,4メートルほど浮き上がったものともいえよう。復元にあたった研究者には耐え難い面白さがあったのではないか。
ただ思うのである。考えてみれば 今の姿のように室町期のオリジナルと江戸期のオリジナルが並立して建っていたときは過去一度としてないのである。時間の中で改修が重ねられ姿を変えていた。その経緯をホゾの位置などを確認した。そうしながら二棟の姿を原型に戻したはずである。そうであるとすればこの家の600年ほどの永きにわたる変貌の時々のすがたもある程度正確に確認できそのような作業をされたのではないだろうか。その変化こそ興味深いはずである。その面白さをたどることができる復元の方法はなかったのであろうか。と思った。
ここにある今、がつまらないのでは決してない。じつに面白い一流の復元であることは言うまでもない。ただこの建築がたどった永い時空を空想する手立てがほしいと思った。
by noz1969 | 2014-05-26 12:01 | 日記

残さんばさ公会堂トークライブ

長崎の中村さんから届いたメールである。武基雄さん設計の公会堂の存亡の危機、多くの方々が立ち上がっている。可能な方のご参加をお願いしたい。

http://www.nagasakicitylegacy.info/topics/1970/

トークライブ開催趣意書

 すでにご承知の通り、長崎市では公会堂を取り壊して、そこに新しい市役所を建設する計画を発表しています。これに対して私たちは公会堂の存続・再生をもとめる立場から、市に要望書を提出し、また市議会には意見陳述の機会を得てきました。その過程で、次第に明らかになってきたことも少なくありません。

 例えば、長崎市はこれまでに議論を積み重ねてきた結果であることを主張していますが、公会堂の建築的な価値や都市的な意義について、まともな議論をした形跡はまったくありません。それどころか、建築的には素人の人が多い委員会に対しては、現在地での建替えの難しさを強弁し、一方では公会堂の老朽化や耐震補強の難しさを強調するために誤った情報を提供するなど、議論を都合よく誘導してきた疑いもなしとはしません。さらには、市の計画をそのまま実現するためには、現在の前面広場を都市公園の指定から解除し、また地区の容積率を積み増ししなければならないことも判明してきました。しかし市がもし自己の都合で都市計画決定を変更するようであれば、今後のまちづくりにおいて民間を規制する根拠を失うことになってしまいます。これはとんでもない暴挙と言わざるを得ません。

 また他方で、そもそも公会堂の建物は、現代の私たちがそんなに安易に取り壊してよいものかどうか、もっと大事なものではなかったのか、といったより根本的な疑いも同時に出てきています。全国の他都市では、公会堂と建設時期が近い公共施設を保存改修し、これからのまちづくりに資するような試みもすでに出てきています。

 長崎市にとっての宝ものであり、市民の財産でもある公会堂について、もう一度立ち止まって考える機会をつくろうとするゆえんです。多くの方々のご参加をお待ち申し上げます。

開催要項

主  催  長崎都市遺産研究会
開催日時  2014年5月23日(金) 午後6時30分開場 7時開始
会  場  メルカ築町プラザホール(長崎市築町3番18号)
参加費   無料
申込方法  事前お申込みの必要はありません。直接会場にお越し下さい。

内  容  問題提起 林 一馬(長崎都市遺産研究会代表・長崎総合科学大学名誉教授)
      パネルディスカッション
        パネリスト
         松隈 洋(DOCOMOMO JAPAN代表・京都工芸繊維大学教授)
         小田浩爾(元長崎県総務部長)
         本田時夫(株式会社梅月堂代表取締役)
         尾上明美 (長崎市民劇場代表幹事)
         
        コーディネーター
         林 一馬
by noz1969 | 2014-05-22 13:55 | 日記

大学セミナーハウスで

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週末八王子の大学セミナーハウスで話をした。吉阪門下の人々が今もこの建築群を含む環境の維持保全にかかわっている。そのかたがたをコアとする集まりに呼ばれたのだがその他多くの人が参集してくれた。久しぶりの吉阪建築は50年を経て相変わらず圧倒的である。ピラミッドを逆さに立てた本館のコンクリートはきわめて健全であった。室内の計画の緻密さは上階に導く会談に顕著に現れている。密度が高い。木造の今後のこと、産業革命以降のわれわれを取り巻く状況、などはなす。後、ワインを飲みながら歓談する、これも深夜に及んだ。翌朝の散歩も楽しかった。50年前の建設時このあたりは樹木のない草地であったという。薪炭の採取の結果の禿山であったのではないか。当時の写真を見ると建設中のセミナーハウスの下に集落があり数棟の家が写っている。それがすべて茅葺きなのだ。江戸から時間が止まった風景が当時ここにあったのだ。今日、ここから見えるものはその後の50年で展開した多摩ニュータウンの住宅群が広がる景観である。時間の進み方がいかに早いものであったかを考える。この先の50年、ここがどのような景観となるのであろうか。
by noz1969 | 2014-05-19 17:44 | 日記

うみべかふぇ

昨日逗子に所用。終了後「うみべかふぇ」に赴く。10年ほど前、歯科クリニックを依頼されこの地に小さな鉄骨三階建ての建物を作った。「うみべ歯科」という。そのコンバージョン。20日ほど前に開業、それが「うみべかふぇ」である。昨年、たまたま奥の大きな家が売りに出た。歯科の拡充が懸案であった。そんなタイミングで歯科医院を奥の家を改造し移動、空いたところに「かふぇ」ということが考えられたのである。相談には乗ったが特にこちらが手を動かすことも無くプロジェクトは進行し歯科医院が改修され奥へ移転、それからほぼ一年後にめでたく「かふえ」の開業となった。
ストーリーはもっと面白い。実は奥の家は二階建てででかい。住居はこの二階に収まる。この結果今まですまいとしていた家がひとつ余る。これが湘南で著名なサーファー建築家故佐賀和光さんの設計のものである。家主はこれをR不動産に仲介依頼、結果この家は5人の方々の住む賑やかなシェアハウスとして生まれ変わったのである。
かふぇへの改造は元佐賀さんのスタッフであった方の手になる。昨日は彼も駆けつけて来てくれ楽しい宴会となった。
営業の形はすこしずつ考えながら変化するようだ。実に気持ちの良い、昔からかふぇであったかのようなスペースです。是非お近くにお越しの折は覗いてやってください。
http://suecco.com/blog/88.html
https://www.facebook.com/umibecafe?ref=stream
by noz1969 | 2014-05-14 11:18 | 日記

長大作さん訃報

事務所に出て、机上のハガキを見た。長さんの弟さんからの訃報であった。残念だ。以前確か弟さんのいらっしゃる近傍に越された、と聞いていたから親族の方に見守られなくなられられたのであろう。5月一日。92歳であった。
長さんが90歳の折に底に90と書かれたご自身デザインのお猪口が送られてきたことがある。ごく最近まできっとお元気であったのであろう。
坂倉事務所時代の活躍とその後の家具デザイナーとしての活動はつとに知られるところだ。奥村の木曽の工房でも長さんのデザインした家具が作られている。私の事務所にも何度か足を運んでくださった。
時代が早く過ぎて行く。御冥福を祈る。
by noz1969 | 2014-05-12 12:06 | 日記