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園田高弘邸で第14回音楽と建築の響きあう集い

昨日は園田邸での 14回目の「音楽と建築の響きあう集い」があった。昨年の末ころに私が 「歌曲の会もあってもいいですね」と言ったらしい。そのことから、園田夫人が準備してくださった。シューベルト「冬の旅」全曲、演奏時間は70分を越える。今回は建築の話の時間は特に設けないこととした。バリトンは近野賢一さん、ピアノは小熊由里子さん、お二人の演奏はもちろんとてもよかったが、大きなホールではなく住宅の中でこの曲を聴くというなかなかない体験ができたことが特に良かったのではないだろうか。私は最前列に腰掛けていた。本当に私の目の前、一、二メートル先で歌われる近野さんの力に本当に引き込まれた。あっという間の70分、同じシューベルト晩年の歌曲をアンコールもしてくれた。その後ワインを飲みながらの歓談、今回初めてお誘いした友人たち数人とと吉村さん談義。皆初めての訪問に興奮しているようであった。園田さんとの話も楽しく尽きることが無い。
今回は奥村まことさんにも来ていただいた。まことさんは二度目の参加であった。先回は昭雄さんと二人での参加であったのだが。夕刻が迫る、幾分暗いあの室内を暖炉の火が明るく照らす。
帰途 林さん富田さん夫妻と奥村まことそれに私達でベトナム料理でのささやかな晩餐、こんな時間を楽しむことになったのも 幾分ほっとするできごとがあったからであろう。
by noz1969 | 2013-02-25 15:39 | 日記

住宅遺産 フランクロイドライト、プレイリーハウス、フィレンツェへ

フランクロイドライト、ノイトラ、ブロイヤーたちの住宅のいくつもが大事にされていることをニュースなどで知るたびにそうしたことを楽しむ人々が存在するアメリカ市民の底力をうらやましく思う。またそれらのいくつかがトレードされ新しいオーナーによりきわめて健全にレストアされて使われている事例も知っている。家具などを含めてきわめて原形に忠実に復されていたりもする。

私たちの町にもたくさんの時代ごとのすばらしい住宅がある。それらは一度破壊されると二度とは作り出すことの出来ないものだ。だがいまそれらの多くはいとも簡単に壊され敷地は更地にされ建築は産廃となっている。そこには新たに劣悪な住宅が密集し建てられるのだ。
そうなることを防ぐ、欲しい人の手に渡す、何とかしてこうしたトレードを社会の中に根付かせたいものだ。そう考え、昨年末「昭和の名作住宅に暮らす」と言う展覧会を有志の手で開いた。このときの反応のあまりの大きさにわれわれ自身が驚いたのだが、反応の多くは「日本経済新聞」文化欄がこのことを記事として掲載してくれたことによるものであった。

今日のヘラルドトリビューンにあったのはなんとニュ-ジャージーのプレイリーハウスをフィレンツェ郊外に運ぼうと言う「ミッションインポッシブル」?!についての大きな記事である。イタリアの建築家といまこの家を所有するアメリカの建築家のあいだで進みつつあるこの計画はいまのところ未完のミッションである。それなのにそのことを伝えるこの記事の大きさに私達はいささか驚かないか。ひょっとするとこの記事が仲介者となって今回のミッションは急に動き出すかも知れぬ。メディアの役割はいまだ大きいのである。
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by noz1969 | 2013-02-22 16:59 | 日記

蓼科

春の竣工に向けて 蓼科の別荘地に週末住宅の建設が進んでいる。南に傾斜し眼前ほぼ真正面に八ヶ岳の峯々を見る。実に景観に恵まれた優れた敷地である。一階を斜面地に埋めた二階建て、もちろん下階がコンクリート造、上階が木造である。だから 敷地に接する道路からはほぼ平屋に見えている。大きく見えない、このことを目論んだ計画である。構造は例により稲山さんとの応答により考え出されたものだが、今回、実施レベルで山辺豊彦のサポートを仰いでいる。なんと贅沢な布陣であろうか。おかげで実に面白い架構と成った。未明には零下20度に届く気候、外壁はほぼ固まった。内外の区画はすでに出来ている。オーエムも工事用の仮設電源で動いている。とはいえ仕事をしてくれている人にとってはこの寒さは大変であろう。これからの工事としては家具などの細かいもののほかに一階部分の外断熱工事に伴う外部左官工事がある。今後の気候にもよるが、今年の寒さ、凍結の懸念を考えるとこの工事が可能なのは4月後半になるのかもしれぬ。竣工は連休前ぎりぎりになるようだ。何とかゴールデンウイークにはオーナーを迎えたいものだ。蓼科の別荘は冬季にほぼすべての所有者が不在、もちろん寒さの故である。この住宅の装備がここで始めて冬季にも豊かに過ごすことの出来る環境となる。そうなることを可能とする計画である。
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by noz1969 | 2013-02-20 23:07 | プロジェクト

建築知識700号

建築知識3月号が届く。特集は「日本の住宅を変えた50人+α」1960年から今日まで「建築知識」誌の記事を手がかりに清家清を始めに50人ほどの建築家を取り上げ振り返っている。私の自邸が取り上げられているが、せっかくの藤塚さんの写真が反転している。きわめて遺憾である。注意深さが編集の命のはずだが。巻末に奥村昭雄を偲ぶ小特集がある。ここでも私の生年が1994と誤植、どうしたことだろうか。

この雑誌の編集長が真鍋弘であった時代におおむね数年に一度ほど手の込んだ特集を彼とともに作ったことが思い出される。最初は「デザイナーの考えた設備」と言う特集であった。三十数年前、1981年12月号である。このとき初めて比較的長い文章を書く羽目になり、四苦八苦した。書いては削り削っては書く、ワープロの無い時代?あったのか?記憶が定かでない。書いたものを断片として原稿用紙に貼りながら前後を入れ替えたりし何とか文意をととのえた。その前文ではNCRビル、アルビーニのリナシェンテ、聴竹居、山越邦彦などを取り上げ、後半いくつかの事例を挙げた。その中で出来たばかりの象設計集団の名護市庁舎の空気の流れが取り上げ沖縄まで取材に行ったことをおもいだす。
300号記念号(1983年7月号)は「原点としての設計スピリッツ」巻頭の文章は私が書いている。「1950年代建築と設計スピリッツ=伽藍が白かったときは再び来るか」、と題したもの。取り上げた建築は神奈川県立近代美術館、SH1, 吉村順三自邸、レーモンドのベーシックハウス、清家清自邸、霞ヶ関電話局、長沢浄水場=山田守など12例、秋山東一、石田信男、黒川哲郎の4人によるもの。当事者とのインタビューなどがいまとなってはきわめて貴重であろう。
その後1987年一月号は特集「北国に学ぶ暖かい住宅」である。上遠野徹さんへのインタビュー、圓山さんのコンクリートブロック住宅のことなどこの記事も懐かしい。この頃 奥村等との「ソーラー研」では断熱と気密が大きな課題であった。この号はその後建築知識が別冊として編んだ「断熱」という書籍にそのまま転載されたこともあった。
1989年1月号「住宅の50年代」ここでは池辺陽広瀬鎌二、清家清、増沢洵の住宅を取り上げ検証している。このとき残念ながら既に池辺さんはなくなられているが他の三人の方々へのインタビューがある。ここで私は清家さんに聞いている。
この頃の建築知識は奥村昭雄の仕事にも興味を持ってくれていた。特に私も参加した新田の体育館の詳細な記事(1984年9月号)、私と共同による阿品土谷病院の同様の記事(1988年6月号)はきわめて丁寧な取材に基づくものであった。
また 2007年には「科学する建築家奥村昭雄」の隔月連載があったが 4回を数えたところで事情により休止している。
これを機に 機会があればこれらのバックナンバーを手にとって見て欲しい。
by noz1969 | 2013-02-19 15:00 | 日記

JIKU 深沢直人さんの書評 吉村順三「建築は詩」

偶然JIKUというサイトに出会った。そこに「建築は詩 建築家吉村順三の言葉100」の書評があった。深沢直人さんの手になるもの。AXSIS紙上に掲載されたものの再録のようだ。この書籍は2005年、芸大美術館で催された「吉村順三建築展」の折に刊行されたものだ。奥村が去った今、吉村順三の仕事に直接関った人々がますます少なくなっていくことになるのはいたし方がない。私の目にこの記事が今日飛び込んだのは何かの因縁かと思う。幾分の躊躇はあるが 公表されている記事である、より多くの人に触れていただきたい。転載させていただくことに問題は無いのではないかと考えた。お許し下さい。以下書評

「そうなんだよな」

 友人と喋っていたときに、私がちょうど読んでいたこの本がテーブルの脇にあった。友人はぱらぱらと本のページをめくりながら、私の話を聞いていたが、だんだんうわのそらになって、興味が本に移っていくのがわかった。建築家・吉村順三の言葉を、氏の存命中に活字となった新聞、雑誌、書籍から選び、まさに詩のように集めたもので、1編が300字から400字程度の語りで完結しているからさくさくと読めてしまう。そしてその言葉は淡々として深く、建築の心を、あるいはものづくりの心を確かに捉えていた。1つを読んですぐに次の語りが読みたくなる。友人の興味が吸い込まれるようにこの本に移っていったのがよくわかる。

 「なるほどなぁ」「やっぱりそうだね」と当たり前のようなことに感動するということは、今の時代がよほどねじまがって混沌としている証拠だと思えてくる。淡々と当たり前のことが語れるということは、易しくはない。そこまでやってきた仕事への情熱とか、経験に裏打ちされた思想や、質の探求と継続があってこそのことだと思う。吉村順三が最近多く話題に上るのはなぜだろう。混沌とした時代に、常に真理と誠意を貫いて建築を見つめてきたからなのだろうか。日本という風土のなかで人間の住み心地を考えてきたから、今の人々に「やっぱりそうか」という感触を与えているのではないだろうか。
 人は自分が生きている今より前に、もっといい時代があったのではないかと想像しがちである。最近は、世界がどんどん良くなっているというふうにはなかなか思えず、今が最悪のときだと思ってしまうことさえある。しかし、過去の偉大な作家たちの言葉がみな、その時代の危なげな状況に警鐘を鳴らしていることをみれば、やはりその時々でさまざまな問題を抱えていたことがわかる。吉村順三も混沌のなかで建築家として戦ってきたのだろうが、彼の作品を見ていると、いい時代があったのだろうと思えてくる。その時代の良さに戻りたいと思ってしまう。

 先達は常に偉大な言葉を残しているが、そのどれもが当たり前で、単純である。文中の言葉はどれもとてもいい。「誠実さ」の語りでは、「……建築における誠実さということは、ちょっとわかりにくいかと思うが、これは建物の目的を忠実に解決する、ということだと思う。いいかえると、建築の造形を誇張しないことである……」といい、「品」では「……品のあるものは、“必要なものだけ”で構成されていることが多い」といっている。また「一本の線」では「……よく事務所の連中にいうんですよ。“きみたちがなにげなく直線をさっと引いたために職人も泣くしクライアントもよけいな出費をする。そのうえホコリなどたまって外観もきたなくなり、みんながいやな思いをすることがあるんだよ。だから1本の線が大切だ”とね」。
 結局友人はその場でこの本を読み始めてしまった。そして、ぽつっと言った「そうなんだよな」と。(AXIS 121号 2006年5・6月より)
by noz1969 | 2013-02-18 15:53 | 日記

住宅建築 奥村昭雄 講演

「住宅建築」誌4月号が発刊された。隔月刊行のため2月に4月号が出る。「奥村昭雄特集」である。昨年末 奥村は他界した。 出版の準備中の最中であった。記事は住宅作品の他に様々に展開した彼の興味とその成果を知る手がかりを与えるものになっていると思う。大量に生産される既製品を壊れれば捨てる社会、産業が用意するものをただ消費することに慣れきった社会は、考える面白さ、考えるという「参加」「関ること」の大切さを人々から奪い去っている。言うまでもないことだが 奪い去ることでしか こうした消費社会は存在しないのだろう。思考停止の恐ろしさと消費社会は深く通底している。

奥村がし続けたの「面白いこと」をつなぎながら考え 試みてみることは、建築を大きな足がかりにしながら多様に多方に展開していった。私達はそれに関りながら、それと応答しながら、感じ入り、感心し、呆れ、驚き、「面白い」と思うことの大切さと充実を教えられた。

今号の発刊を機に講演をしろということで昨日 話した。懐かしい顔が来てくれていた。参加者の年齢が比較的高いのは「住宅建築」読者の層を示しているのだろう。ただ 数人の教え子たちを見かけ話もした。こうした機会にこれらの人に会うことに 望外の喜びを思う。講演は半分を奥村の思い出話とした。、4月号を読むに当たってのガイドとでも言うべき話のつもりであった。話しながら様々に思い出す。こうしたコミュニケーションを通じ人は連関するのだ、心からと思う。
後半は大きな「事態」と人々が「考える」ことの関連について話しながら3,11以降を生きるわれわれの「考えること」についての話をした。既成に甘んじることから独自に考えることへ。
by noz1969 | 2013-02-18 12:19 | 日記

竹橋のあとで

ブログに記事を書くことが続く。頻繁になるとそれが癖になる。きっかけは某女から「読んでますからあまりサボらないでくださいよ」との直訴!があったことによる。
連休はアクティブであった。竹橋の後に汐留へ「二川幸夫日本の民家1955」を覗く。1955年の日本の集落の景観は全て美しかった。このことの確認。戦後10年である。ここには戦前から、明治から、ひょっとすると江戸からつづく変わらぬ景観がある。それらのほぼ全ては今日では失われ既に無いものだ。1955年、景観の中に建築があることが美しい。今日はどうだろうか。景観は建築があることで大きく損なわれている。5年ほど前 大橋富夫さんの「日本の民家屋根の記憶」が出版された折にも同様の感慨を持った。大橋さんの出版記念の席で原広司さんが「私達が見に行ったときには既に無かった」といっていたことを思い出す。急速な景観の改変があった。もちろん生活の劇的変化も。
人口の劇的縮減が始まっている。この先に再び美しい景観が急速に復元される、建築家の仕事がそうしたきめの細かいものにシフトする、そんなことを夢想する。ハインリッヒベルの「9時半の玉突き」はたしか三代に渡る「建築家=土木技師」の一族の つくり 壊し 再び作ろうとする話ではなかったか。
by noz1969 | 2013-02-12 15:23 | 日記

竹橋 近美へ

リニューアル。残念ながら評判の東京国立近代美術館『美術にぶるっ!』展を観ていないのだ。昨日常設展を観にいく。と言うか、今回の「改修」を観に。とても良くなっている。改修は西澤徹夫さん等の手による。展示空間を以前より注意深く分節したことに気付く。特に日本画の黒い展示室がほかとのコントラストを際立たせている。部屋の中央にいくつもの、昔、山川ラタンが作った籐のスツールが散置されている。剣持勇デザイン。
赤柿色のカーペットの「眺めのよい部屋」。ここのベルトイヤチェアが以前からの白い塗装のものをクロームメッキに仕立て直されたものであるという。しかも京橋のフィルムセンターから10年前に持ち込んだものという。なんのという物持ちのよさ。
新たに用意された「建物を想う部屋」は谷口吉郎オリジナルの当時からの開口部を見てもらうための部屋だ。ここには竣工時使用の柳宋理のバタフライチェア、剣持勇のベンチがある。この建築の意義と時間を尊重する仕掛けは今回改修を手がけた建築家の手柄であろう。
ほかにも木材を際立たせる表示、グラフィックの工夫も心憎い。ただ新たに置かれた小ぶりな木製の家具のきゃしゃさ、これが気になった。
西澤徹夫さん、芸大で教えていた数年前に教官室で何度か話をしたことがある。当時彼が展示に関わったクレー展のことなどであったと記憶する。芸大の建築が輩出すべきタレント、今回の改修はそのまさにかたちではないだろうか。
by noz1969 | 2013-02-11 21:04 | 日記

宍戸錠さんの家の火災

今朝のモーニングショーで宍戸錠さんの家が原因不明の出火で焼けてしまった、とのニュースを見た。宍戸邸は鈴木恂さんの設計、確認はしていないが確かコンクリートと木造の混構造、当時たくさんの素敵な住宅が現れたがその住宅のなかでも特にすばらしいものであったと記憶する。確か宍戸さんの奥さんが鈴木恂さんの建築を好み設計を依頼したということではなかったか?鈴木恂さんは植田実さん編集の雑誌「都市住宅」のなかで宮脇檀さん、東孝光さん、山下和正さんなどと並ぶ常連であった。この家の主人であった宍戸夫人が数年前に亡くなっていることをこのニュースで知った。どのような事情であったかに記憶が無いが数度お目にかかったことがある。そのことをふと思い出した。なんとも残念なことだ。
by noz1969 | 2013-02-08 20:05 | 日記

「ソーラータウン府中」のドミノ

OMエコナビというサイトをみて欲しい。ここでは数十棟の住宅の集熱量、温熱状況、などが逐一表示されている。府中のソーラータウンではモデルハウスがこのOMエコナビのより環境状況の追跡がなされている。今日のデータを見る。外気温の最低が未明に1度Cに至っているが、室温の最低が17度C,室温はほぼ昼夜常に20度Cをキープする。しかも湯温が35度Cのレベルに達している。室温の保持に要する太陽熱は2月初旬に既に余力を持ちそれが給湯のほうに廻っているのだ。データを極寒期と置き換えて見ると一目瞭然なのだが太陽高度の低い十二月の末から一月半ばにはさすがに室温の保持が手一杯でお湯に廻る余力は無い。ただその期間はきわめて短い。府中でのドミノのこの力量には驚くほかに無い。ほとんど無暖房、しかも給湯エネルギーまでもがそのかなりの部分を太陽エネルギー依存で実現することが出来ているということになる。PVによる発電もある。東村山で開発され展開を続ける「木造ドミノ住宅」はここまで来た。この装備が坪70万を下回る価格でこの装備性能の住宅が供給されることにまで。

https://eco.navidoco.com/om/EconaviOM/omsolar_detail.aspx?userid=6703&category=
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by noz1969 | 2013-02-05 14:00 | プロジェクト