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三加和起工式

昨日 熊本和水(なごみと読む)町へ。三加和小学校木造校舎と体育館の着工を迎える。午前、式典が催された。晴天。町長、町議会議長、町議全員、町の関係者、職員、われわれチーム、そしてもちろん工事を担う建設関係各社のひとびとが多数参加した。
プロジェクトは熊本アートポリス構想の一環 先年のプロポーザルによりわれわれにその任務が託されたもの。九州の建築家中村、柴田、東大森の三氏との共同作業である。
熊本県北のこの町も少子化の渦中にある。小学校の統合により複式学級の解消を図ることを既存のRC造の中学校と一体に計画することをプログラムとしているものであった。われわれは中学校校舎の一部に小学校高学年の教室を組み込み新規に建設する小学校校舎を縮減、この部分を平屋木造とする提案を行った。木造架構は山辺さんの知恵を借りつつ組み立てたが基部から立ち上がる本格的な木構造となる。教室棟もかなり面白いものとなろうが、体育館の架構はきっと劇的なものになると期待している。もちろん屋根集熱による室温確保を教室棟、体育館棟ともに装備する。今回建設に着手したのはこの小学校部分、これの竣工後に中学校部分の既存改修にも着手することになる。中学校部分は中央部の一部を切除、減築し環境の改善を図るとともに温熱環境に配慮し開口部の補強、外断熱、屋根集熱システムの搭載などを行うことになる。
式典の終了後 今回の工事で世話になる木材加工工場を見に行く。なんといっても今回は木構造部を担う組織、体制、そして人材のことが重要になる。訪問先では早速打ち合わせとなり図面をはさみ様々な応酬が始まった。これがこの仕事の何よりの楽しみと思う。
一方 愛農でも減築後の木造校舎の新築が始まっている。おもに図書館となるこの建物も面白いものになろう。こちらは稲山正弘さんとの協業である。
 木造校舎については夏には三加和、愛農、このどちらもが姿を現す。そして三加和の減築改修が終了し外周部のキャノピーなどが作られ最終の形が姿を現すのは来年の春になる。
by noz1969 | 2013-01-30 16:44 | 日記

ソーラータウン府中へ、そして こいずみ道具店へ

昨土曜 午後 ソーラータウン府中へ。全四期の工期のうち 第三期までの工事が完了または着工している。すでに販売されている第一期の住戸はすでに入居済みだ。夏の初めには 町並みの全貌が現れよう。いまもその過半にすでに手がつけられていて、ここがどのような「まち」になるのかがそろそろおぼろげに見えつつある。家々の間にあらわれる共用空間「コモン」がその鍵だろう。「地役権」設定により担保された公共、こんな形での保障された民地の一部供出による新しい形の「意図的な公共の創出」の実現はいまだ珍しいのではないか。田村誠邦さんの知恵がこんな形を既存の法制の中で現実化させてくれた。「あたらしい町のかたち」、それを現前させる知恵、これが、いま、何より必要なのではないか。
ここでの「木造ドミノ」は太陽電池約3キロワットを搭載した新形式のオープンビルディングタイプのオーエム住宅。LCCM(ライフサイクルカーボンマイナス)住宅であり、長寿命環境配慮住宅、Q値1,9。冬季であっても一日の室温の挙動は極めて少なく 暖かい。冬季であっても室温確保の余剰の採熱でお湯を造ることすらある。「ドミノ」 の開発がいわゆる通常の住宅価格でこのような高品位の住宅の供給が可能となったことは感慨深い。
府中を辞し、国立へ。小泉誠さんのこいずみ道具店へお邪魔する。私にとり懸案の初めての訪問。この春開店予定の新しい改修建物も見せていただく。ここでの彼のたくらみの肌理の細かさは決して建築家の資質と同様のものではない。彼とは今後もいくつかのコラボレーションの予定があり今も進行中である。お互いの立ち位置が意図的に相対化され、結果として双方が強化される、そんな協業となるよう一つ一つの仕事を試みるようにしたい。
by noz1969 | 2013-01-27 21:01 | 日記

爺が岳ロッジという建築

先日 私の事務所の元所員Oさんから 爺が岳ロッジの現況の写真を送ってもらい、感慨ひとしおであった。古い「新建築」をみる。1976年6月号。それ以前に友人の家など数件の住宅を手がけてはいるがそれを除けばこれが処女作といっていい建築であった。いまから37年ほど前の記事である。設計が74年、工事が75年、とあるから ほぼいまから40年ほど前に依頼をうけ仕事を始めたのではないだろうか。急ぎ建設を進め、スキーシーズンの年末から営業を始めたのだったのだろう。春になり撮影 写真に写る唐松にいまだ葉が無いとことがその証拠だ。カメラは新建築写真部、あの荒井さんであった。大型のリンフォフを据えて太陽の位置が定まるまで待つ。その間に 建築家のゴシップなど色々な話を聞いたことを思い出す。カメラマンは何でも知っていた。夜景、といっても実際は夕景だが、を撮る。暖炉には新聞一枚に火をつけてあたかも赤々と燃えているように撮影する。宿泊、翌朝の光での撮影で太陽光が一巡、撮影も終了する。なるほど、と思いながらの二日がかりの撮影。いまと全く違うきわめて丁寧な取材であった。
この建物は途中で所有者が変わり私の関与もそこまでとなった。その後の様子は時折耳にするだけであった。「外観が大きく変更されている」とのうわさに 正直 あまり考えたくない、気分もあった。今回の報告に添付された写真にはそのためか、外観はない。Oさんの配慮である。ただし室内の写真を見るとほぼ当時のままである。室内を移したショットに見える外壁が 元の焼杉板ではないことが見えるが、懐かしい。屋根面の全てが開口部の中廊下もいまも健全のようである。客室内は満室で撮影できなかった、とのコメント。スキーブームが下火といわれる中、営業も順調のようだ。40年近く営業を続けている事実、なんとなく懐かしく嬉しい気分を持った。
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写真はOさん撮影のもの
by noz1969 | 2013-01-17 14:38 | 日記

講演会 追記

講演会の件だが 配布される「住宅建築」が奥村昭雄の特集号である。亡くなってすぐの号が特集号という符合に驚くが、私なりに奥村とのことを話すのが最も時機を得たものになるか、と考える。パワーポイントによりあらかじめストーリーを作って話すという形ををやめ、思い出しながら話す、という形にしようと思う。タイトルと内容に違いがあるものになると思う。ご了解を。
by noz1969 | 2013-01-16 12:06 | 日記

講演会

隔月刊行の雑誌「住宅建築」では最近連続して講演会を開催している。今回4月号の刊行にあわせ話せ、何でもいい、とのことで 2月半ばに講演となった。4月号の発刊が2月なのである。
この話を受けた後の昨暮れ、 奥村が亡くなった。なんと言うめぐり合わせか、今号は奥村昭雄の特集号である。 
3,11からほぼ二年がたつ。なにをを話そうか。
詳細はパンフレットを見ていただきたい。

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by noz1969 | 2013-01-12 14:56 | 日記

明けましておめでとうございます

年が改まり一週間が過ぎた。
「新しい2013年が穏やかで 豊かな 年になるよう 祈ります」。

しかし現実には、そう考えることがなかなか難しいのだ。「穏やかで豊かな社会」であることを妨げるような様々な事象が山積している。2011年三月の震災,わけても原発事故の後遺症は今後も長く続くだろう。そのうえ準備のできていない事態、対応不能な事態がこれからも起きないとはかぎるまい。そのことは知っている。しかしそのうえで 人事をつくす事はどのようにしたら可能なのか、を考えることしかわれわれの取るべきみちは無いのだろう。そしてそれをポジティブにできれば楽しいものとして行なうことを指向したい。そのためにはもちろん考えることの深度を極めて深いものにすることが求められよう。

半世紀以上の戦後の成長期はすでに終わっている。その間に構築された制度、既往の方法、対応が一律の進歩を前提とするいわば上意下達型とでもいうべきものであり、一人一人、地域地域が独自に「考えること」を阻害し、むしろ思考停止を導き強制するがごときものであったことをわれわれは肝に銘じながら確認すべきであろう。長く続き 制度化し われわれの身体の一部とさえなっている「考えないと言う習慣」、これを 「考えるという習慣」とすることの難しさは絶望を禁じえないほどのものとも思える。それでもそれにわれわれはこの課題に真剣に取り組まなくてはならないのではないか。「考えること」は本来的に面白いことであるはずである。

この国の人口はすでにピークを越え下り坂に入っている。40年後には ピーク時に比べ 30、000、000人ほどの人口減、と予測されているようだ。人口90、000、000人台の国である。90年後にはそれが半減45、000、000人の国になる、ともいう。幾分誇張して言えば 10年で現状の三分の一の国になるようなのだ。そのころこの国は明治国家誕生のころの人口と並ぶという。こうした劇的変化はこの国の形をどのようなものとするのだろうか、それに向かう40年前、90年前のわれわれはいま何をどのようにすべきなのだろうか。どのような今日の作為が穏やかで豊かな40年後、90年後につながるものなのだろうか。

昨年末 奥村昭雄が没した。その 数日前に訪ね少しの会話を持った。その折にはそうしたことを懸念する気配はまったく無い、元気に見えた。残念である。ただ 10年を越す病との共生の時間を思うと 穏やかな最後にほっとする気持ちもある。誰にでも当然訪れること、と思うことにする。奥村と同じ時を過ごし 共同で仕事をした時間はまさに「考える楽しさ」に満ちたものであった。
奥村との責任の無い漫談のなかで彼が「19世紀、産業革命期に生まれたかった」と話したことがある。幾分は本気であったのだろう。考え、工夫し、作る、それが緊張と興奮を伴いながら成果として現実になる、それら一つ一つは独創に満ち、それまでには無いものであり、あららしい利便、快適を作り出す。
私たちの仕事はこれからも期待されている。それに答えなくては成らない。「考えること」を再度回復したい。
by noz1969 | 2013-01-06 15:01 | 日記