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東京駅頭にて 

昨日 友人との待ち合わせで東京駅の丸の内側に出た。東京中央郵便局の一皮だけの姿が痛々しい。遠望ではあるので感違いかも知れぬががどこか新築のようなファサードの白さが気になる。吉田が注意深く決めたあの幾分乳白がかったタイルが妙に平滑にみえる。まさか総貼替えしてはいないだろうが。遠くから見るところ時計の針が取り付けられていないだけ、ほぼ完工にみえるが、吉田がデザインした入口上の「中央郵便局」のロゴの当時のままの復元はあるのだろうか。内部にはあの黒い八角形の列柱は存在しているのであろうか。
振り返ると東京駅。仮囲いが一部を残し外され姿が現れつつある。貼ったばかりの銅版が光る。これは時間がたつにつれ落ち着くのであろう。ただ、新たに復元された三層部の赤レンガの面が一二層と違った見え方をすることが気になる。明らかに平滑なのだ。二層目との間に線がある。数年前、芸大の陳列館で「JRのデザイン」のいったタイトルの展示があった。その折に東京駅舎復元計画の断面図がありこの第三層がレンガ積みによる復元ではなくレンガタイルによるものであることが見て取れたのである。この結果ではないかと思うがいかがだろう。。復元後、重要文化財指定することが決まっていることと復元の手法は極めて大きな関係があるのではないか、オーセンティシーとは??との感を抱く。是でよいのであれば ひょっとすると全館再建、レプリカの三菱一号館の重文指定などということすら起こりかねぬのかもしれぬ。
既に完成し供用を開始している中央口室内のトラバーチンの内装は全く過去の臭い、復元の気配のないそっけないものであった。
by noz1969 | 2012-02-22 15:23 | 日記

成良

友人成良が亡くなった。
二年にわたる戦いであった。1月28日に見舞いに行ったが、一週間後の4日に知らせを受けた。無念で成らない。通夜と葬儀は7日と8日であった。どちらもに参加した。参列した人はきわめて多かった。10月に取材があった「住む。」が参列者に送られた。由記子さんの考えによる。ここに成良等家族の姿と暮らしが記録されている。
無念ではあるがかれの生き方は極めて見事でもあると考えることとしよう。
わが家のかれ陶器がいつも彼を思い出させるだろう。
by noz1969 | 2012-02-12 17:14 | 日記

中村與資平ツアー

10日金曜日 静岡に出向く。静岡県住宅振興協議会の主催する講演会で話す。これからのまちづくり、いえづくりの難しさと面白さを考える。いま行っている 「既存改修」について、「ドミノ」についてなどが主要な話となる。
終了後 懇親会から東京からのI氏S氏が合流、翌日の休日に予定する静岡市、浜松市、豊橋市をめぐる「中村與資平ツアー」のメンバーがそろう。静岡在の人々と情報交換しながらの宴会であった。
翌朝、市のIMさんと市内を歩く。與資平建築、市庁舎、県庁、静銀などのほか 戦後市浦事務所が手がけた防火帯建築のこと、駿府城付近、浅間神社などをめぐる。家康の都市計画とその後の各時代ごとの経緯が見える。ほかの都市に比べ中心市街地がきわめて活性であることが面白い。防火帯建築が隙間無くゼロロットに並ぶ。その結果であるかも知れぬ。そうした商業のすぐそばに市庁舎、県庁舎がある。コンパクトなまちである。與資平の三つの建築はどれもが様式の異なる意匠をまとう。そしてそれらがシンボルとしてこのまちの主要な地点にその位置を占めていることが面白い。
その後、浜松へ移動「浜松銀行協会」をみる。いまは木下恵介記念館としてあるが、ここに與資平記念室が併設されていた。彼の仕事が見える。満州での仕事、欧州アメリか旅行のことなど。思いがけずここで「歴史に残る名建築家 中村與資平物語」なる冊子を手に入れる。オールカラー、子供向きの絵物語 全18ページ である。浜松市東区役所編集とある。浜松出身の建築家であるとはいえこうしたものを編集出版するということをあまり聞かない。驚きながらありがたくいただく。遠州銀行を見る。それにしても静岡市内の賑わいと浜松市内の閑散とした寂しい市街の差に驚く。人口は後者のほうが多いという。コンパクトに商業がまとまり条里の構造がきちんとしている静岡とそれを持たぬ拡散する都市構造の差か。
豊橋市公会堂に驚く。二つの塔の上のドームを各々四羽の鷲が守るという意匠、1931年竣工というがなんとなくファシズム??のにおい?が。訪れた「日」が悪かったのかも知れぬ。ちなみにこのすぐそばに豊橋ハリストス教会(重文)河村伊蔵設計がある。それらをみてトラムで帰る。改めてトラムのある街は良い。
愛知まで足を伸ばす年齢の割には強行軍であったが実に、面白い充実したツアーであった。
by noz1969 | 2012-02-12 15:26 | 日記

ユニテダビダシオンの火災

朝、BSのニュースを見ていたところ、フランス20Hの放送中、マルセーユのユニテダビダシオンで火災があったというニュースが飛び込んできた。
火災は10日に発生、30戸が被災、うち8戸が全焼と伝えた。ユニテの戸数はウィキペディアによれば337戸、約一割が延焼したことになる。映像では特長ある中廊下の焼失状況や住戸内部の被災、すすに汚れた外部などが写されていた。放水された水がツララとなっている。今年のヨーロッパの寒波が見て取れる。
火災時の映像は無かった。1500人の居住者はもちろん全員避難したが、12日にはその三分の一がもとの住戸に戻るとのことであった。原因は不明とのこと。

以下 ウィキペディアより

ユニテ・ダビタシオンのうちで最も有名なものは、最初に建設されたフランスのマルセイユにあるユニテ・ダビタシオンである。単に「ユニテ・ダビタシオン」といった場合には、マルセイユのユニテ・ダビタシオンを指すこともある。
18階建て、全337戸で、最大約1,600人が暮らすことができる巨大な集合住宅で、1人向けから4人向けまでの23タイプの多様なユニットが立体的に組み合わされている。住戸はメゾネットで、エレベータは3階ごとに停止する。中間階の7階、8階及び屋上には、共用施設が設けられている。7階、8階には、店舗や郵便局等があり、屋上には保育園、体育館、プール等がある。1961年には3階、4階部分の当時空室だった住居を利用してホテルが開業しており、現在でも、一般客が宿泊することができる。
ピロティはマッシブな造形で、プレキャストを多用したコンクリート打ち放しの仕上げも荒々しく、ブルータリズムの傾向が伺える。
by noz1969 | 2012-02-12 11:55 | 日記