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城南信用金庫の姿勢

私の取引先は偶然ではあるが城南信用金庫である。以下転載する。

「原発推進は金融機関の仕事ではない」、東電との契約を解除する城南信用金庫・吉原毅理事長に聞く

2011/12/22
伊藤 正倫[日経ビジネス編集]

 信用金庫業界で日本有数の規模を誇る城南信用金庫が、東日本大震災後もなお原子力発電を推進しているとして、東京電力との電力契約を解除すると表明した。来年から、本店を含む店舗の大半で新規電力事業者のエネットから電力を購入する。「東電との取引を続けていては、金融機関としての健全性を保てない」と言い切る吉原毅理事長に聞いた。(聞き手は伊藤正倫)

――「原発に頼らない安心できる社会」の実現のためとして、東京電力との契約解除を表明しました。今回の決断に至った経緯を教えてください。

 福島第1原子力発電所の事故が発生するまでは、電力供給という公共性の高い企業であるとの観点から、東電の株式や社債を運用していました。しかし、事故後の東電の対応に疑問を抱き、3月中に保有する全株式・社債の売却を決めました。「この会社は信頼できない」という結論に至ったのです。

 企業が事故や不祥事を起こすと、その責任を明確にし、再発防止策を徹底することが最低限の責務です。ですが、東電経営陣は「想定外」という言葉を繰り返し、責任を明確に取ろうとしませんでした。今でもそうです。起きてしまったことを「想定外」で済ませていては、企業は成り立ちません。経営者の常識も逸脱しており、東電だけ例外というのはおかしな話です。
融資先などにもPPSの利点を訴える吉原毅・城南信用金庫理事長(写真は新関雅士)

 さらに東電は、再発防止策はおろか、電力不足に対応するため原発は引き続き必要との立場です。ならば、利用者である我々が東電から電力を買わなければ、東電が主張する電力不足が解消される。そして、原発を使わない電力の供給が増え、原発維持の必要性がなくなる。こう考えたのです。

 城南信金は、東京都内などに展開する店舗の大半で東電の契約を解除し、原発を使わない特定規模電気事業者(PPS)であるエネットからの電力購入に切り替えます。しかも、PPSを使えば東電より電気代が安くなる。

 当社の融資先などにも、PPSの利点を訴えています。融資先などに毎月配るディスクロージャー誌で今回の取り組みを紹介したところ、「うちも切り替えたいが、どうすればいいか」といった問い合わせも来ています。私は福島第1原発事故を受けて、原発は最大の環境問題だと考えるようになりました。電力購入先を切り替える動きが広がることが、「原発に頼らない安心できる社会」の実現につながります。


――しかし、中小企業には電力関連の仕事を抱えるところも多い。融資先からはどんな反応がありましたか。

 当社の融資先は、東京都内などで不動産業を営む個人が多い。いわゆる家主です。モノ作りなど、いわゆる企業向け融資は全体の3割程度です。ですが、原発関連の部品を製造する融資先もある。こうした融資先は今、原発事故を受け、培った技術をプラント建設など他分野に転用しようとしています。このための資金を提供したり、販路開拓に協力したりすることが金融機関の役割だと思っています。世の中の変化はビジネスチャンスでもある。
“地域消滅リスク”は大げさではない

――東電の契約解除だけでなく、省エネのために設備投資する個人への貸出金利を、当初1年間は無利息とするなどの優遇策も設けています。金融という仕事柄、賛否両論ある原発問題へのスタンスを明確化しすぎることは、業務の足かせとはなりませんか。

 明治時代、日本の銀行業の成立に大きな影響を与えたアレクサンダー・アラン・シャンドという人物がいます。彼は「サウンド・バンキング」、つまり健全な銀行業の重要性を繰り返し説きました。健全な銀行業とは、いかに利益が出る企業であっても、社会的に“善”である企業でなければカネは貸さないことだと理解しています。現在は、企業が存続するか否かの観点のみで健全性を語られている印象がありますが、健全性の意味を矮小化している気がします。
城南信用金庫は投資信託などリスク性商品を基本的には取り扱わない(写真は東京都品川区の本店、新関雅士)

 少なくとも1970年代までは、日本の銀行は本来の意味でサウンド・バンキングでした。ですが、2000年前後の急速な金融自由化の中で、銀行の目的が「健全な社会をつくる」ことから、収益至上主義に変容していったと考えています。城南信金では、銀行に投資信託の窓口販売が解禁されて以降も、元本割れリスクがあるこうした商品を取り扱っていません。また、「貸すも親切、貸さぬも親切」との標語の下、カードローンなど主に遊興費を個人に融資する業務も手がけていません。

――東電との契約解除について、信金界から何か反応はありましたか。

 特にはありません。ですが、原発がある地域の信金では、域外への移転も視野に事業継続計画(BCP)を策定しているような状況です。大げさではなく、“地域消滅リスク”を感じているのは当社だけではないと思います。私は、原発推進は金融機関の仕事ではないと考えていますが、(東電に多額の融資をしている)メガバンクを含めて、このことに薄々は気付いている同業者も多いのではないでしょうか。
by noz1969 | 2011-12-28 17:25 | 日記

牛伏川フランス式階段工

土木学会が1995年、創立80年を記念して出版した「人は何を築いてきたか」という本がある。私の特に愛する書籍のひとつである。広く「土木」と考えていい人々の営為が取り上げられおおむね時間軸で掲載されている。そのひとつひとつが面白い。取り上げられている営為は先史時代の環状列石から今日のものに至る。各項目は写真と解説、それに所在地のわかる地図、データが要領よく記載され、旅行のおりに立ち寄るための格好の手立てと成っている。紹介されている「牛伏川フランス式階段工」はその中で特に行ってみたいところであった。今回それが叶った。
明治期から大正期の膨大な石組みはもちろんあくまでも手加工である。仕事は一つ一つ人により行われ、それによる景観はきわめてヒューマンだ。雑木林の中に穏やかな階段状の長い緩やかな滝が心地よい水の音を響かせている。階段工の始まるところにある説明図の写真を見るとこの穏やかな景観が下流のエリアにまで荒れ狂う土砂流出を繰り返す牛伏川をなだめ人々が作り出したものであることを知る。緩やかな階段に見える場所は写真の中では抉り取ら垂直に近い断崖のようにある。ここを手を尽くし膨大な石積みにより埋め尽くしたのだ。なんと30年をかけこれを作ったとある。
この営為はただ事ではない。人力によるものではあるがじつに巨大な土木工事である。しかしそれによる処方は漢方のような穏やかなものである。もちろん手入れは必要なのであろうがこの穏やかな処置は穏やかな維持でその機能を保つことが出来るものなのではないだろうか。われわれが知る巨大技術、スクラップアンドビルドは時に維持が難しく、それによる景観ががさつである。このこととの対比をどうしても考えざるを得ない。長く使い続ける知恵はこうしたものから学ぶとことが大きい。

散策しながら以前見た四国吉野川第十堰(よしのがわだいじゅうぜき)のことを思い出した。コンクリートで覆われ目に触れることがない堰の下には江戸期の吉野川の分流化工事の折に築かれた膨大な石積みがあると聞いた。それは青石と呼ばれるものであり堰は青く輝き一定量の水は逃す融通無碍なものとしてあったと聞いた。人々は石伝いに対岸に渡ったとも。無粋なコンクリートを剥がしてみたい、と思った。残念だが、先の書籍には第十堰は記載がない。現代の応急的被覆がこの顕彰を阻んでいるのだろう。
by noz1969 | 2011-12-21 14:12 | 日記

フードアクションジャパン2011

フードアクションジャパンアワード2011と言う催しがある。今年は私達が校舎建設に協力している愛農高校がその「大賞」に選ばれた。卒業生の多くが就農すること、有機農業に力を入れていることなどが高く評価されたと言う。様々な部門のたくさんの応募の中でそれらの頂点、「大賞」に選ばれたことは 本当に喜ばしい。

http://ainougakuen2.mie1.net/
by noz1969 | 2011-12-21 12:56 | 日記

「建築士」に寄せた原稿

建築士会連合会の機関紙に「環境時代の住宅設計」と言う連載がある。その最終回の原稿を依頼され書いた。一部掲載されたものと異なるかもしれない。長文だがここに掲載する。本誌にはある挿絵はここでは省略した。

建築士会連載 最終回   明日のすまい、3.11を超えて 



今回 本「士会」機関紙で「環境時代の住宅設計」と言うタイトルで 各地で試みられている様々な住宅設計のうち特に「環境」をキーワードとしそれに即した先駆的事例を約一年半の長期にわたり連載した。この連載により 多くの建築家、研究者に自らの試みにつき記述していただき各地各様の多彩なトライアルを一定の形で概観が出来たのではないかと考える。そこでのさまざまな試みは今日われわれの社会がおかれている極めて深刻で多様ないわゆる地球環境問題に対し何らかの応答を用意するものであったと思う。なぜなら 私たちは今ここに生きているのであり、今ここにある諸課題に対し鈍感ではいられない運命にあるからだ。
私達は この連載の中ほどに今年三月11日に発生した東日本大震災とそれにより引き起された福島第一原子力発電所の崩壊という きわめて大きな災害に見舞われてもいる。震災と津波による甚大な被災とそれからの復興についてその方途を懸命に考えなくてはならないのはもちろんだが、 これにより引き起こされた「原発」の崩壊による甚大な被災は、私達がそれまでの思考の前提を捨て極めて深刻にまったく新たな思索を用意しなければならない=ゼロから全てを考え直し再構築しなければならない=前例のない課題をわれわれに突きつけている。
3,11以降、わたしたちは「環境」について考えることの前提を大きく変えることを求められている、そう考えざるを得ない。考えることの前提を突き動かされる事態となったといえよう。

ひるがえって 住宅、建築はなぜ「環境」と言うキーワードで考えるべきものであるのか。それはこれらが極めて多くの資源を消費し作られること、そして長期にわたり使い続けられるものであるからであり、建設時運用時、廃棄時それぞれの資源使用量が膨大なものとなることによる。
人々は生存のため、利便のために住宅そして建築を必要とする、建築は生存のために必須なものだ。そしてそれらが求められ、建設される地域、それはその地域ごとに気候はさまざまであり気候による負荷の様相も著しく異なる。工夫の方途は地域、気候により様々なはずである。
そうした条件を軽々とクリアーし しかも 出来ることであれば石化資源使用を最小に 可能な限りゼロに近づけたい、これが私たちの究極の目標であるはずである。そしてこの課題はなにも住宅に限らないもっとひろいものであることもここで改めて述べる必要がない。資源は有限である。20世紀における人口に急増、特に先進諸国の使用資源使用量の驚嘆するほどの急騰はわれわれが「意図的」に自覚しなければならぬ事実としてある。その上 それによる負荷、その典型としての地球温暖化の急速な拡大という直接的被害もわれわれの眼前にあるものだからだ。
よく知られることだが使用される多くの資源、そのエネルギー転換はたかだか数十パーセントほどの効率で行われるに過ぎない。残りの過半は何らかの負荷としてわれわれの周辺に残存し長期にわたり存在する。端的に言えば発電所の発電効率は30~40パーセントほどであり 残余は海を暖め大気を温めているのだ。温暖化の原因は単にCO2のみに帰するわけではない。
われわれは市民としてそしてこの閉じた「宇宙船地球号」の乗員として加速度的に上昇する資源使用、それに伴いこれも加速度的に上昇する温暖化を少しでも緩やかなものとするため、生活の全体を「意図的」に見直すことが求められている。

建設に何らかの形で関る建築士会メンバーである私達が、われわれ専門家としてわれわれの職能の領域にある「住宅」「建築」の資源使用をその建設段階から、運用、廃棄の段階にいたるまでを包括的「意図的」に考えることは社会に対する職能の責任であり任務である。 そうであるとすれば その作業を通し私達は「市民社会のひとりとして」の われわれひとリひとりが 自らの生活に関るあらゆる資源使用についてもそれらの根本から考えなおすことをし、それについて極めても「意図的」になることが求められているということに他ならないのだろう。そうする中でエネルギー消費のより少ない生活を工夫し よりましで的確なエネルギーを自ら選択し その使用を試みる、そして今より一層そうしたことが容易であり可能な社会を求めそれを構築することを われわれは選び取らなければならないだろう。

今日 負荷のより少ない「自然エネルギー」の効率的使用の道もその効率を著しく高め、新たな形のエネルギー取得の方途も様々に開拓されつつある。効率、性能を着々と向上させ価格の低下も著しい太陽電池はその代表的事例だろう。「意図的」であると言うことが新たな領域をいきいきと切り開くのだ。
負荷の少ない資源とはこの地球に降り注ぐ太陽エネルギー、たとえば光、熱など、そしてその元でこの地球自体がもつメカニズムによるもの、たとえば風、河川、海流、地熱、気温など、そしてそれによってはぐくまれ、尽きることがない循環を繰り返す植物、動物のもついわゆるバイオマスエネルギー、たとえば 木材、堆肥、などである。これらは18世紀末に始まる産業革命期=化石燃料=石炭の使用の開始=以前私達人類の生存を永きに渡り支えてきた資源そのものだ。

周知のことだが われわれより早く、ほぼ20年ほど前から 石化エネルギー、原子力エネルギー利用を抑制し少しでも自然エネルギーに依拠する社会の構築を目指した諸国がある。北欧諸国、ドイツ、オーストリー、スイスなどがそうした国々である。こう並べてみるとこれら諸国が今から25年前に原子力発電所の大事故を起こした当時のソ連、チェルノブイリ発電所の近傍の諸国であることにあらためて気付かされる。これら周辺諸国では「チェルノブイリ」は極めて深刻な事件としていまだにその影を落とし続けている。25年前の事件、それからの時間の中でこれら諸国は核融合によるエネルギー取得のオルタナティブ=もうひとつの解=の必要を痛感し、自然エネルギーの効率利用を真剣に模索し始めたのだ。そして 多様、多彩に自然エネルギーの利用、開発を推進、それにより きわめて多様な新しい産業、制度、仕組みを生み出し、それらを一大産業に育て上げまったく新しいまちをつくりだしてもいる。これら諸国の風力、バイオマス、地熱、太陽光等による電力エネルギー生産が総生産量の数十パーセントに上ることは つとに知れ渡る。そしてそれらを支える新たな製造業の展開も目覚しい。

もちろんエネルギー使用を縮減するのための建築的工夫も様々に工夫されその成果は注目に値するものだ。ドイツ、オーストリー発の「パッシブハウス」の基準は着々とゼロエネルギー住宅に近づきつつあり、マッシブホルツと称される 大型木質パネルによる工法は中層から高層の集合住宅工法をコンクリート造から木造に大胆に切り替え、結果 コンクリート使用を低減ししかも軽量化により作業効率をも大幅に高めてもいる。
そしてこれら建築のパッシブ化、ゼロエネルギー化を支える建築部材の開発も多彩だ。バルコニーからの室内側への伝熱=ヒートブリッジ=をカットする部材はドイツのひとりの研究者により開発、製品化され彼自身が起こした企業により量産され 既にその使用はEUの過半の国々で義務づけられていると聞く。
自然エネルギー、バイオマス資源とは 人類が50万年前に「火」を使用して以来 17世紀末の産業革命期に至るまで永きに渡って我々の生命の持続を保証してきた循環する恵みであり資源である。これに再度着目し その誠実で綿密で無駄のない利用を考えること、それが今日の主題となる。可能性は極めて高くこの分野の工夫は実に面白い。いうまでもないがコンピュータによる演算速度の飛躍的向上がそれを支える。気候分析などの緻密なシミュレーション、風車のブレードなど機器の効率化、そこに多くのアントレプレナーたちの成果がある。そしてそれらを援護し誘導する社会がある。

先日 環境取り組みにきわめて熱心な建築家の設計した施設に設置されたバイオマスボイラーの燃料であるチップの乾燥度についての話を聞いた。バイオマスボイラーに取りチップの乾燥度は命である。乾燥が甘いとボイラーは自らの燃焼の維持のために燃料を消費しつづけることになる。しかしスイスからボイラーを輸入した大手熱源機器メーカー担当者はチップの乾燥度の重要性について全く知見を持たなかったと言う。一方20年ほど前からこれらの工夫を重ねているドイツ オーストリー諸国ではチップ乾燥に太陽熱による温風を利用、事前の品質管理を徹底して行っている。そしてバイオマス資源の積極利用はわが国と同様、いやそれ以上に高い人件費のそれら国々での森林管理を経済的に成立させ森の荒廃をも防ぐ結果となっているのだ。
まれな例ではあるが 北海道 下川町でこれと同様の事例を見る。下川の森林からは枝,葉の類まで搬出され炭など様々な製品に加工、商品化されている。結果、山は極めて整った姿を見せる。われわれにできないわけではないのだ。そのうえ2008年には「環境モデル都市」の指定を受けたこの町には先年 環境省が推し進めた「環境共生型モデル住宅」の建設も行われ下川産の木材の徹底利用によるQ値0,8のすまいが出現してもいる。なんとここでは壁300ミリ屋根500ミリの断熱材までが地元産のウッドファイバーである。

しかし残念ながら われわれがこうした自然エネルギー利用の工夫を開始してまだ数年の経験しか持たない。私達は一からこれら技術の習得、開発を試行錯誤を楽しみながら自らの手で実感を伴いながら始めなければならないのだろう。
そして きわめて遺憾なことに、これまでこの国では 自然エネルギー利用などの原発に対するオルタナティブとみなされるものへの、推進策誘導策は積極的には採られることはなく、ごく小規模な試みでさえ隠然と排除され無視されてきた歴史があるようだ。むしろ自然エネルギーはあてにならず、不安定で、利用価値の低いもの、とするプロパガンダのなかに私達はあった。

福島の被災を経た今、我々は いま まさにチェルノブイリ以降の西欧諸国と同様の環境の中にある、といって良いのではないか。「もうひとつの解」=オルタナティブを今こそ私達は持たねばなるまい。少なくとも「絶対安全」で何の備えも必要がない万全で無謬なものが人間の作り出すテクノロジーのなかに存在するはずがない、という考えてみればごく当たり前のことに痛いほど気づかされたのだ。私たちは「自然エネルギー」こそ安全で持続可能なエネルギーであると言うプロパガンダを展開する必要があるのではないか。半年前までの電力会社のCMの「SUWICH」というスローガンを化石エネルギー(ウランを含む)から自然エネルギーへの「スイッチ」の意としなければならないのではないか。と思うのだ。

3,11を経てわれわれはどこに行くのか。3,11を遡ること約4ヶ月前、2010年12月17日に国土交通省国土計画局が作成発表した「国土の長期展望に向けた検討の方向性について」という興味深い資料がある。国土の将来を様々なテーマに沿って統計的な予測を施したものであり確度は相当程度高いと思われる。これは今も国交省のHPからダウンロード可能だ。http://www.mlit.go.jp/common/000134593.pdf
これによるとわが国の人口は高々40年ほど後、2050年には九千五百万人ほどとなるという。今日、中学生の少年達が働き盛りの五十歳を迎えるころ この国はなんと今より三千万人ほども人口の少ない縮小した社会となる。この資料によればこの時期 今日過疎と言われる集落のほぼすべては無人となる、とある。そしてかろうじて人口減を免れる大都市郊外では今日の数倍の高齢化が出来しているというのだ。さらにその五十年後の2100年、つまり 今日 生を受けた赤ん坊が90歳を迎えるころのこの国の人口はなんと4千5百万人ほどなのである。今の人口の約三分の一強ほどである。そして この人口4千五百万人の国土とは明治期の半ばとほぼ等しいという。その間 ここ百年の著しい人口膨張とその急激な凋落とはいったいなんなのだろうか。
急速に縮小する社会は今日われわれが作り出し 後世に遺す膨大な借金を背おわなければならない。またこれからの社会は社会資本整備の名でわれわれが作る膨大なインフラを維持し管理することができるだろうか。果たしてそれらインフラは縮小する社会に取り本当に必要だろうか。
今日すでに山村に赴くと用を失い、もてあまし気味の空き家となった学校建築、庁舎建築をみる。過疎化そしてそれがもたらした町村合併の結果だ。
私は この劇的な人口縮減は今回の被災によりよりその速度をいっそう速めるのではないかとも思う。そうであれば いまある資産をいまのうちに急ぎエネルギー消費のより少ないものとしなければなるまい。余剰をこれ以上作り出すことは控えなければなるまい。いままでの社会が不足を補うために新たに作ることを「建設」といったとすれば、今後はそれらを適正な規模に整える、縮減することを「建設」と言いうのかもしれないのだ。今日に至り 住宅そして建築を長く使い続ける、サステイナブルな社会、とはついに 縮小する社会にあわせ建築の規模、用途の適正化を求めるところにまでたどり着いていると考えるべきであろう。それは決してつまらない社会ではないと確信する。身の丈にあい、穏やかで落ち着いた社会であるはずだ。
それにしても今回のフクシマの災禍は90年後、四千五百万人の国になるときが来てもなお終わることが無く その対応に多くの尽力を必要とするもののはずではないのか。

リスボンの地震とそれが引き起こした津波(1677)では約6万人の死者があったという。その後250年のポルトガル社会がたどった歴史が思われる。

「環境時代の住宅設計」の連載を終えるにあたり これからのわれわれの思索と行動の質のこれまでにない重さを思う。
by noz1969 | 2011-12-21 11:08 | 日記

林昌二さん没

毎日新聞で知りました。残念です。
謹んでご冥福をお祈りします。

以下「毎日」より転載します。

オフィスビル建築の第一人者で、毎日新聞東京本社があるパレスサイドビルなどを設計した建築家の林昌二(はやし・しょうじ)さんが11月30日、東京都内で死去した。83歳。

 東京工大卒。1953年、大手設計会社の日建設計に入社。設計を手掛け、66年に完成したパレスサイドビル(東京都千代田区)は、両端にそびえる2本の円柱(エレベーター棟)と、横200メートルのガラス張り壁面に縦横に走る雨樋(あまどい)やひさしが特徴。機能的でありながら快適な空間を実現させて、モダニズム建築の名作とされている。

 71年にはポーラ五反田ビルで日本建築学会作品賞を受賞。その後も、中野サンプラザ(73年)、新宿NSビル(82年)などの大型建築を次々と設計。限られた予算や時間内で資材などを工夫し、豊かな空間を作り上げる手法は「貧困の美学」と呼ばれた。

 80年に日建設計副社長に就任し、のち名誉顧問。日本建築家協会会長などを歴任した。妻は建築家の故・林雅子さん。
by noz1969 | 2011-12-02 15:19 | 日記