大多喜

大多喜の町役場は今井兼次の設計、1959年の竣工である。今回この建築を残し活用、敷地の後方に新しい庁舎を作ることを前提にするプロポーザルコンペがあった。われわれも参加、金曜夕刻に提出した。知人からこの話があり、「ぜひ応募せよ」とのことであった。
大多喜には数年前シンポジウムに呼ばれて訪れたことがある。企画は千葉県内のいくつかの現代建築を見ながら大多喜に向かい(そこには大高正人の県立文化会館、図書館などが含まれていた)最終地のここで近代以降の建築の保存活用などを考えると言うものであった。
シンポジウムは通常議場としても使われる大会議室を借り開かれたが、そこは平屋の庁舎の下階にある明るいつつじの植え込みに囲まれたガラスの開口の空間であった。そこを私は印象深く覚えている。平土間のどのようにでも使うことのできるしつらえ、室外の明るい緑に満ちた広がりに続くこの光景に戦後民主主義の夢とでも言うべきもの、今井や当時の町役場の人々の夢を思ったのだ。
今回応募のため、当時の「新建築」を見て驚いた。1959年7月号の「新建築」には大多喜町役場のほかに世田谷区民会館(前川国男)、国立西洋美術館(ル,コルビジェ)が掲載されていたのだ。これらは同時期に竣工していたのである。周知のことだが西洋美術館は「世界遺産」登録を目前にしている。そして「大多喜」は保全を前提のコンペがなされ健全に維持されることが保障されることとなった。
もうひとつの世田谷区民会館そして区役所は解体されてしまう可能性がある。数年にわたり区が委託し大手設計事務所の作成による改築に向けた報告書が作られるなど、着々と手が打たれているのだ。報告書の中身は実に陳腐である。われわれはその動きについて知り、考え区民に知ってもらわなければならないと考えシンポジウムを開くなど活動を行っているが極めて大きな危惧を感じているのだ。区民会館、区役所の建築がこれもまた大多喜と同様50年前の民主主義と時代を示すものの優れた典型であることは言うまでもない。破壊は取り返すことのできない禍根となろう。
大多喜の決断は実に優れている。保全と新築が新しい町役場を作る。町のたどった50年の年月が記憶と時間と歴史をここに見せ、新しい50年をここに見せることになるのであろう。大多喜の市民は誇りをこめてこの50年を歴史をこれからも長く続く「歴史としての景観」としたのだ。サステイナブルソサエティ、21世紀の宿題を引き受けた建築の姿が大多喜に現れるのは間違いがないだろう。
世田谷は市民参加による自治,まちづくりの先進地であった。50年を経て広場に枝を広げるケヤキ、長年ここで催された様々なイベントの記憶、成熟しつつあるこの環境を更地にすることを万一行政が行うことがあるとすればこれの説明は区民を納得させうるものとなるはずがない。
by noz1969 | 2009-02-08 17:36 | 日記
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