JIA仙台

週末仙台でJIA大会。環境建築賞のシンポジウムがあり仙台へ。個人的所用と重ねたことにより前日松島に投宿する。部屋の眼前は森と島と穏やかな海、それ以外は何もない。豊かな景観である。久しぶりの休息であった。ただ宿の至れり尽くせりが気になる。建物のデザインも「至れり尽くせり」なのだ。旅館の建築も商業建築であるから、とは思うがもっと「素の建築」「本格的な建築」がいい。天橋立の「文殊荘」は簡素ではあるが日本の建築の本道を行くものである。言うまでもないが吉村順三の設計である。今日の商業建築としての旅館建築の「和風の改竄」は客の好みといってしまえばそれまでだが気になる。マンションという名のこの国の集合住宅にもまったく同じことが言える。極端な例だが葬祭場の表面上の華美にも驚かされる。もちろん工業化住宅の意匠もそうだ。たしかにこれを喜ぶ客がいるのだがそれだけであろうか、これしかないからこれに甘んじているのかも知れぬ。これほど豊かな国の顧客、「客の責任」とでも言うべきものがあるのだろう。顧客が学びそれなりの高みを引き受けることがそろそろ問われるのではないか。公共建築の設計などの機会にもそれを思う。市民の意思を代行する人々、代議員、行政職員がこうした自覚から遠いことがあるのだ。

環境建築賞のシンポジウムは受賞者のほぼ全員が受賞作品についてプレゼンテーションをしてくれた。東北芸工大の三浦さん、東北大の吉野さんが出席してくれ、コメントを寄せてくれた。極めて好意的なコメントであったが、作品が多岐なテーマを包含ししかもレベルの高いものであったことも事実であったと、当事者ではあるが思う。そしてこれら作品のおおくがクライアントとの協働、またクライアントの挑発によって実現していることに勇気付けられる。高みを、宿題を引き受ける顧客に恵まれたものが多い。先の商業建築、建売住宅の成り立ちと大きく異なるのだ。建築はクライアントの作るものでもある。もちろん建築家は決してクライアントをなめてはいけない。マーケットリサーチによる建築にはそれがあるのではないか、「こんなもんだよ、すごいだろ」というにおいである。当事者はできる限りの高みを知りそれを提案すべきであろう。
刺激の大きくあるイベントであった。
by noz1969 | 2008-10-19 18:20 | 日記
<< Volkmar Pamer講演会 世界の測量 >>