パッシブ研

25年ほど以前、宿題を考える集まりがありいつの間にか「ソーラー研」と名づけられ数年にわたり続いた。いうまでも無いがそこでの思索の中心に奥村がいた。思索は新田の体育館、春野の林業会館、逗子小坪の家などに反映し阿品土谷病院にたどり着く。オーエムはこの思索の社会化であり、一定の成果を作り出した。そのオーエムも20年を経てオープン化を迎えシステムはそれなりにこなれ、一般化もし、この間現われた様々な環境技術のひとつともなった。
環境的課題が深刻になった今日、この先の建築が果たす成果を見通すことが切実に求められる。どこまでできるのか。
しかし建築は常に日常の中にあり、かかわる人々の専門家として思索に日常の思索、が侵入する事が避けられぬ。建築が大きく変わる必要があるしその可能性がある。が、それを慣習が阻み基準が引き戻しているのではないか。無意識に。
様々な現況にすでにある成果を眺め、再度考えることをはじめようと思い「パッシブ研」をささやかに開始した。「木造ドミノ」の試みがそれをさせた、ともいえるだろうし「ソーラー研」の記憶がそれをさせたともいえよう。常識、規範を忘れ面白そうなことを考える、この二つの体験にはそれがあった。成果はこれからではある。第二回目が昨日あった。
by noz1969 | 2008-08-24 10:46 | 日記
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