「新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」続き

昨日の「朝日」にもこの問題に付いての記事があった。また今日の「朝日」天声人語にもこのことが取り上げられている。しかし昨日の「東京新聞」の記事には脱帽である。


以下 昨日の東京新聞に記事の電子版から転載する。

 本紙 新聞記事はカラー写真入り第一面と社会面を使ったきわめて大きな扱いである。 

「神宮の森 美観壊す」 20年五輪 新国立競技場巨大すぎる

記事1、

 二〇二〇年東京五輪のメーン会場となる新国立競技場をめぐり、世界的建築家の槇文彦さん(85)が計画の大幅な見直しを求める論文を発表した。新競技場は自然の美観が保存されている東京・明治神宮外苑の風致地区に立地する。槇さんは、現計画では巨大すぎて歴史のある景観を壊すと懸念。莫大(ばくだい)なコストがかかる恐れもあるのに、関連した情報が知らされていないと指摘する。  (森本智之)

 「新競技場は数字(延べ床面積)だけ大きくて、必要かどうか疑わしい機能が多い」

 槇さんが異議を唱える最大の理由は、新競技場の巨大さにある。先月、日本建築家協会の機関誌『JIAマガジン』に問題を指摘する論文を発表した。

 文部科学省所管の独立行政法人日本スポーツ振興センター(JSC)によると、「世界一のスタジアム」を目指した新競技場は、新宿区霞ケ丘町の現国立競技場を取り壊して建て替える予定だ。施設を大幅に拡充。開閉式の屋根を備え、観客席を五万四千席から八万席に増やすほか、スポーツ関連の商業施設や博物館・図書館などを加え、延べ床面積は五・六倍の二十九万平方メートルにふくらんだ。

 神宮外苑は崩御した明治天皇をたたえようと、内苑(ないえん)である明治神宮とともに整備され、一九二六(大正十五)年に完成。東京で初の風致地区に指定され、景観を守るため開発が規制されてきた。

 ところが、高いところで高さ七十メートルに達する巨大な競技場を建てるため、都は今年六月に高さ規制を緩和。十五メートルから七十五メートルへと五倍に緩めた。

 これに対し、槇さんは「外観上、新競技場は大部分がコンクリートの壁になる。これでは単なる土木加工物。歴史的に濃密な地域の美観を壊してしまう」と危惧。「景観を守るために作ったルールを自ら否定した」と、都を批判する。

 二十九万平方メートルの床面積は、昨年のロンドン五輪のメーンスタジアムと比べ約三倍の特大サイズ。しかし、敷地面積はロンドンの七割しかない。

 槇さんは、コストの問題も指摘する。

 国際基準では、五輪の主会場に使う競技場は観客席が六万人以上必要だ。だが槇さんによると、ロンドン五輪では八万席のうち六割以上は仮設だった。

 「全て本設にしなくても五輪はできる。終わった後、八万人もの観客席がどれだけ使われるのか。十七日間の祭典に最も魅力的な施設は次の五十年、百年後、都民にとって理想的とは限らない」

 試算したところ、観客席の一部を仮設にし、過剰な駐車スペースや余分な関連施設を減らすだけで、少なくとも数百億円のコストが削れるという。

 槇さんは「必要な情報が事前に十分に公開されず、国民が計画の是非を判断する機会が与えられていないことが問題」と指摘。有志の建築家らとシンポジウムを開いたり、要望書を提出したりすることを検討している。

 JSCの担当者は「各界の代表にお願いした有識者会議で、必要な意見は吸い上げている。計画は確定というわけではなく、必要なら見直す可能性はある」と話している。

<まき・ふみひこ> 東京都出身。東京大で故丹下健三氏に師事。米ハーバード大大学院修了。「モダニズム建築」の旗手として知られ、主な作品は東京・代官山の複合施設ヒルサイドテラス、幕張メッセ、名古屋大豊田講堂など。建築界のノーベル賞といわれるプリツカー賞を師の丹下氏に続き、日本人として2人目の受賞。イスラエルのウルフ賞や米建築家協会ゴールドメダルなど受賞多数。

<国立競技場の建て替え計画> 1958年に完成した現競技場は老朽化が進み、五輪会場の基準を満たしていない。2016年五輪の招致では晴海地区にメーンスタジアムを新設する計画だったが、交通アクセスの悪さなどが指摘され、現在地に建て替えることが決まった。新競技場には、VIP席・個室席(2万5000平方メートル)、スポーツ博物館・商業施設(計2万1000平方メートル)、地下駐車場(900台分)なども計画。15年秋の着工、19年春の完成を見込む。総工事費は少なくとも1300億円かかる見通し。


 記事2、

東京五輪に向け、国立競技場を「世界一のスタジアム」に建て直す。開催地決定のお祝いムードの中、着々と進むこの計画に、一人の世界的建築家が疑問を呈している。「こんなに大きいものが必要か。今後百年、都民が愛せるものになるのか」。未来を見据える槇(まき)文彦さん(85)の訴えは、百年近く都心のオアシスとなってきた明治神宮外苑の景観を守り育ててきた先人の意志に通じる。 (森本智之)

 青山通りから真っすぐに左右二列ずつ並ぶイチョウ並木。三百メートルにわたって続くその並木道を抜けた先に石造りの聖徳記念絵画館が見える。都心なのに高層ビルが視界に入らない、伸びやかな光景がここにある。

 この貴重な景観が近い将来、失われてしまうかもしれない。絵画館に向かって左奥にある国立競技場を建て替えるため、都は高さ規制を五倍の七十五メートルに緩和。計画では、現在の五倍以上の床面積を持つ新競技場に生まれ変わるからだ。

 明治神宮外苑は大正初期、都市の中心に市民が憩う場を造ろうと計画された。完成した風景は、都民のオアシスとなってきた。

 「新競技場計画は、百年近く環境を守ってきた先人の行為を台無しにしようとしている」。京都工芸繊維大の松隈(まつくま)洋教授(近代建築史)は指摘する。

 実は、幻に終わった一九四〇(昭和十五)年の東京五輪でも同様の議論が起き、計画が撤回されていた。

 候補地選定を担当した東京帝大教授岸田日出刀(ひでと)は建築誌で「スタンドが尨大(ぼうだい)な姿で建ちはだかった場合、(略)今の調和した風致美は跡形もなく損じ去られる」と指摘。所管する内務省の後押しもあり、候補地は変更された。松隈教授は「今とまったく同じ状況。槇さんの問い掛けは重い」と話す。

 なぜ、狭い敷地に巨大な競技場が造られることになったのか。今回の建て替え計画の経緯は不透明だ。

 国立競技場を管理運営する独立行政法人・日本スポーツ振興センター(JSC)は昨年三月、計画の内容を検討するため、「国立競技場将来構想有識者会議」を設置した。

 佐藤禎一元文部次官をトップに、メンバーは猪瀬直樹東京都知事や竹田恒和日本オリンピック委員会会長ら政界、スポーツ界関係者ら十四人。JSCの担当者は「世界レベルの国際大会の開催基準を満たすよう、設備面の内容を一つ一つ検討してきた」と話すが、メンバーで建築関係の専門家は、建築家の安藤忠雄さんだけだ。

 有識者会議でどのような議論があったか、議事録は公開されておらず、外部から検証するのは難しい。

 JSCは昨夏、この計画を基に外観のデザインを公募。年末には英国の建築家ザハ・ハディドさんの作品を採用することに決定し、準備は着々と進む。

 ハディドさんの作品は開閉式の屋根に掛かる二本の巨大なアーチが特徴の手の込んだデザインで、当初予定の千三百億円の総工事費を超える懸念がある。そもそも総工事費には現競技場の撤去費用や機器類、設計監理料などは含まれない。

 競技場に設置される施設の詳細も「設計を進めていく中で決定していく」として、明らかにされていない。

 国は四月にサッカーくじの売り上げの一部を財源に充てることができるよう法改正したが、予定額を超えた事業費を、どう負担するのかも不明だ。



記事3、


槇文彦さんとの主なやりとりは次の通り。

 -計画のどこが問題なのか。

 「東京での五輪開催は、みんなが元気になるという意味で良いことだ。だが、新競技場の延べ床面積は二十九万平方メートルで、東京ドームの二・五倍以上。八万人の観客席を支えるコンクリートの壁だけが、下から見た印象の大部分を決めてしまう。できちゃってから『あ、こんなのだったの』ということはしたくない」

 「もう一つ大事なことは、神宮外苑の歴史的文脈の中に造ることだ。狭い敷地に無理に造り、五十年、百年と都民が愛せるものになるか懸念を持った」

 -これほど大きなものは必要ないと。

 「ロンドン、アテネなどは八万~十万人規模の会場だが、延べ床面積十万平方メートル。新競技場は数字だけ大きくて、なくてもいいものがある。必要かどうか、疑わしい機能が多い」

 「北京五輪の『鳥の巣』はコンペの時は開閉式屋根だったが、カネがかかると途中で取り払った。ロンドンも観客席の大半を仮設で済ませた。それでも五輪はできた。最初の計画通り造らないといけないわけじゃない」

 -コスト面では。

 「千三百億円といわれているが、まともにやったらもっとかかるという声がある。建築は花火のようにバンバンやって良かったというものではなく、そこに百年くらい居続ける。うまくいかないと、必ず税金のような形でツケが回る」

 -詳しい情報が伝えられていないが。

 「なぜ二十九万平方メートルなのか、知っているのは計画している人だけだ。どうしてこんなに大きくなったのか、社会に対して説明する義務がある」

 -論文の反響は。

 「書いたことは、ほとんどの建築家がそう思っていること。すごい反響です」
by noz1969 | 2013-09-25 12:29 | 日記
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