建築知識700号

建築知識3月号が届く。特集は「日本の住宅を変えた50人+α」1960年から今日まで「建築知識」誌の記事を手がかりに清家清を始めに50人ほどの建築家を取り上げ振り返っている。私の自邸が取り上げられているが、せっかくの藤塚さんの写真が反転している。きわめて遺憾である。注意深さが編集の命のはずだが。巻末に奥村昭雄を偲ぶ小特集がある。ここでも私の生年が1994と誤植、どうしたことだろうか。

この雑誌の編集長が真鍋弘であった時代におおむね数年に一度ほど手の込んだ特集を彼とともに作ったことが思い出される。最初は「デザイナーの考えた設備」と言う特集であった。三十数年前、1981年12月号である。このとき初めて比較的長い文章を書く羽目になり、四苦八苦した。書いては削り削っては書く、ワープロの無い時代?あったのか?記憶が定かでない。書いたものを断片として原稿用紙に貼りながら前後を入れ替えたりし何とか文意をととのえた。その前文ではNCRビル、アルビーニのリナシェンテ、聴竹居、山越邦彦などを取り上げ、後半いくつかの事例を挙げた。その中で出来たばかりの象設計集団の名護市庁舎の空気の流れが取り上げ沖縄まで取材に行ったことをおもいだす。
300号記念号(1983年7月号)は「原点としての設計スピリッツ」巻頭の文章は私が書いている。「1950年代建築と設計スピリッツ=伽藍が白かったときは再び来るか」、と題したもの。取り上げた建築は神奈川県立近代美術館、SH1, 吉村順三自邸、レーモンドのベーシックハウス、清家清自邸、霞ヶ関電話局、長沢浄水場=山田守など12例、秋山東一、石田信男、黒川哲郎の4人によるもの。当事者とのインタビューなどがいまとなってはきわめて貴重であろう。
その後1987年一月号は特集「北国に学ぶ暖かい住宅」である。上遠野徹さんへのインタビュー、圓山さんのコンクリートブロック住宅のことなどこの記事も懐かしい。この頃 奥村等との「ソーラー研」では断熱と気密が大きな課題であった。この号はその後建築知識が別冊として編んだ「断熱」という書籍にそのまま転載されたこともあった。
1989年1月号「住宅の50年代」ここでは池辺陽広瀬鎌二、清家清、増沢洵の住宅を取り上げ検証している。このとき残念ながら既に池辺さんはなくなられているが他の三人の方々へのインタビューがある。ここで私は清家さんに聞いている。
この頃の建築知識は奥村昭雄の仕事にも興味を持ってくれていた。特に私も参加した新田の体育館の詳細な記事(1984年9月号)、私と共同による阿品土谷病院の同様の記事(1988年6月号)はきわめて丁寧な取材に基づくものであった。
また 2007年には「科学する建築家奥村昭雄」の隔月連載があったが 4回を数えたところで事情により休止している。
これを機に 機会があればこれらのバックナンバーを手にとって見て欲しい。
by noz1969 | 2013-02-19 15:00 | 日記
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