竹橋のあとで

ブログに記事を書くことが続く。頻繁になるとそれが癖になる。きっかけは某女から「読んでますからあまりサボらないでくださいよ」との直訴!があったことによる。
連休はアクティブであった。竹橋の後に汐留へ「二川幸夫日本の民家1955」を覗く。1955年の日本の集落の景観は全て美しかった。このことの確認。戦後10年である。ここには戦前から、明治から、ひょっとすると江戸からつづく変わらぬ景観がある。それらのほぼ全ては今日では失われ既に無いものだ。1955年、景観の中に建築があることが美しい。今日はどうだろうか。景観は建築があることで大きく損なわれている。5年ほど前 大橋富夫さんの「日本の民家屋根の記憶」が出版された折にも同様の感慨を持った。大橋さんの出版記念の席で原広司さんが「私達が見に行ったときには既に無かった」といっていたことを思い出す。急速な景観の改変があった。もちろん生活の劇的変化も。
人口の劇的縮減が始まっている。この先に再び美しい景観が急速に復元される、建築家の仕事がそうしたきめの細かいものにシフトする、そんなことを夢想する。ハインリッヒベルの「9時半の玉突き」はたしか三代に渡る「建築家=土木技師」の一族の つくり 壊し 再び作ろうとする話ではなかったか。
by noz1969 | 2013-02-12 15:23 | 日記
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