明けましておめでとうございます

年が改まり一週間が過ぎた。
「新しい2013年が穏やかで 豊かな 年になるよう 祈ります」。

しかし現実には、そう考えることがなかなか難しいのだ。「穏やかで豊かな社会」であることを妨げるような様々な事象が山積している。2011年三月の震災,わけても原発事故の後遺症は今後も長く続くだろう。そのうえ準備のできていない事態、対応不能な事態がこれからも起きないとはかぎるまい。そのことは知っている。しかしそのうえで 人事をつくす事はどのようにしたら可能なのか、を考えることしかわれわれの取るべきみちは無いのだろう。そしてそれをポジティブにできれば楽しいものとして行なうことを指向したい。そのためにはもちろん考えることの深度を極めて深いものにすることが求められよう。

半世紀以上の戦後の成長期はすでに終わっている。その間に構築された制度、既往の方法、対応が一律の進歩を前提とするいわば上意下達型とでもいうべきものであり、一人一人、地域地域が独自に「考えること」を阻害し、むしろ思考停止を導き強制するがごときものであったことをわれわれは肝に銘じながら確認すべきであろう。長く続き 制度化し われわれの身体の一部とさえなっている「考えないと言う習慣」、これを 「考えるという習慣」とすることの難しさは絶望を禁じえないほどのものとも思える。それでもそれにわれわれはこの課題に真剣に取り組まなくてはならないのではないか。「考えること」は本来的に面白いことであるはずである。

この国の人口はすでにピークを越え下り坂に入っている。40年後には ピーク時に比べ 30、000、000人ほどの人口減、と予測されているようだ。人口90、000、000人台の国である。90年後にはそれが半減45、000、000人の国になる、ともいう。幾分誇張して言えば 10年で現状の三分の一の国になるようなのだ。そのころこの国は明治国家誕生のころの人口と並ぶという。こうした劇的変化はこの国の形をどのようなものとするのだろうか、それに向かう40年前、90年前のわれわれはいま何をどのようにすべきなのだろうか。どのような今日の作為が穏やかで豊かな40年後、90年後につながるものなのだろうか。

昨年末 奥村昭雄が没した。その 数日前に訪ね少しの会話を持った。その折にはそうしたことを懸念する気配はまったく無い、元気に見えた。残念である。ただ 10年を越す病との共生の時間を思うと 穏やかな最後にほっとする気持ちもある。誰にでも当然訪れること、と思うことにする。奥村と同じ時を過ごし 共同で仕事をした時間はまさに「考える楽しさ」に満ちたものであった。
奥村との責任の無い漫談のなかで彼が「19世紀、産業革命期に生まれたかった」と話したことがある。幾分は本気であったのだろう。考え、工夫し、作る、それが緊張と興奮を伴いながら成果として現実になる、それら一つ一つは独創に満ち、それまでには無いものであり、あららしい利便、快適を作り出す。
私たちの仕事はこれからも期待されている。それに答えなくては成らない。「考えること」を再度回復したい。
by noz1969 | 2013-01-06 15:01 | 日記
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