インターナショナルヘラルドトリビュー記事翻訳NO.4

ノンブルに齟齬があります。今回を「4」と修正させていただきます。原情報のチェックをいたします。欠番があるようです。

インターナショナルヘラルドトリビュー記事翻訳NO.4
2011年5月18日水曜日一面に掲載

隠され無視された原子力の危険 
    過去の訴訟から見える日本の原子炉の地震の脆弱性
           Norimitsu OnishiとMartin Fackler 記者

弁護士たちが日本の原発に対して指摘してきたのは、近年の地震に関する研究が示唆したように大地震には耐えうるものではないというものであった。

もし大地震に襲われたなら電源喪失がおき、非常用電源も機能せず、そのため冷却機能に支障をきたすと予測してきた。その結果原子炉はメルトダウンとなり空気中や海に放射能を撒き散らすことになると。そして何万人という人々が避難を免れないことになる。

その予測はぞっとするほど不気味なものであったが、訴訟そのものは10年も前に日本でもっとも危険とされた浜岡原発に対するものであったものの、今回の福島第一原発の一連の出来事を指摘したものとなった。

この訴訟は複数の現実離れした法律上の争いの一つと扱われたもので、結果として敗訴したものの長期にわたり電力会社、規制当局、裁判所に対して、世界でも類のないほど地下活動が活発な日本においての原発の安全性を改善することを強いるものであった。 

一連の訴訟から見えてくるのは、改善に必要な費用を出し惜しみつつ運用をつづけることで地震の危険性を甘くみてきたという電力会社の不安をしょうじさせるような思考傾向だ。 そしてほぼ全ての訴訟は不成功に終わり、それが結果として日本においての原子力の支援という秘密の合意の文化が出来あがったのだ。 その中に入っていたのが日本政府、原子力規制当局、電力会社である。

かいどう ゆういち氏は浜岡の訴訟の原告であり敗訴が決定したのは2007年の地方裁判所での採決であるが、氏によればもしそれが勝訴していれば、
日本の原発においてより強固な地震や津波また非常用電源基準等の対策がとられたことになったと述べた。

"この事故は防ぐことができた“と日本弁護士会の事務局長であるかいどう氏は福島第一についてこのように述べた。 中部電力は管首相の比類の無い要請を受け今週末稼動中であった2機の原子炉を一時的に停止した。 

会社によれば数年間をかけて地震および津波対策を強化した後操業再開を予定している。

日本においては全ての原発は海岸沿いに建設されていてそのため地震や津波にたいして脆弱である。 福島においての大災害は津波によるものとされているが、今になって明らかになってきた証拠から、津波以前に原子炉の重要機器類が地震によって破損したのではないかと言われている。 

チェルノブイリ以来最悪の大惨事となった福島第一であるがこれが引き金になり、東京から南西185kmの距離にある御前崎にある浜岡原発停止のつながった。 しかし総理の決断はこの大惨事からだけではなく、長年にわたり少数派として政府や運用会社を訴え続けてきた市民、弁護士や科学者の力に負うものが大である。 しかしこれらの人々は普通の市民からは無視されつづけてきた。 反原発をとなえることで近隣の住民からは白い目でみられ、会社員は運動を制限され、そして日本の青年たちは反原発運動には消極的ということで
運動参加者の数は増えることはなかった。

しかし3・11以後とくに浜岡原発停止後長年の活動家たちは真実を語り続けたということで注目を浴びるようになり、その反面原子力推進派は地に落ちた。

金曜日中部電力は午前10時から原子炉停止を開始したのを見守るのが、90歳になるナガノエイイチ氏と78歳のシラトリヨシカ氏の二人である。シラトリ氏は訴訟のリーダーとしてそしてナガノ氏があとに続いて海岸を強い風をうけながら浜岡の"進入禁止“のところまで歩みを進めた。 "もちろん停止は喜ばしい”とナガノ氏は述べた。"しかしもう少しやれていたならば、もっと声を大にしていれば福島第一の犠牲なくして停止に追い込むことが出来たのでは“とも述べた。

無視された警告

1976年資源不足に悩む日本はオイルショック後、エネルギー確保のための独自の政策として原子力に注力を注いできたもので、ヨーッロパや米国においての危険性の高まりに対してもその姿勢はかわることはなかった。
その年に浜岡の原子炉一号機が操業を開始し、第二号機の建設が始まった。
神戸大学名誉教授である地震学者のイシバシカツヒコ氏は、二つの地殻構造プレートにはさまれた地震発生地域の真上に浜岡があることを研究として発表した。それ以後もイシバシ氏の発言を裏ずける研究がおこなわれ、昨年には政府の専門家によるM8級の地震発生率はほぼ90%が30年以内におきるとした。

1995年の神戸地震の後この地域に住む住民は組織を立ち上げ中部電力にたいして意思を表明してきた。 2003年には訴訟を起こし原子炉停止を要求したがそのころにはすでに原子炉の数は4機に増加していた、その中で地震対策基準の甘さに言及した。 2007年地方裁判所の裁定により敗訴でその訴えはしりぞけられた。 その裁定の根拠となったのが、東京大学教授であり
原子力の推進者かつ2010年から原子力安全委員会(日本においての規制当局の一つである)の委員長であるマダラメハルキ氏の証言によるものが大きい。

その証言の中でかれは二つの非常用電源が同時に損失は考えられず、そのような恐れを抱くことは"そんなことではだれも何も作ることは出来ない“と言った。 福島の後国会で問われ、"原子力を推進してきたものとして個人的に謝罪をしたい”と述べた。

原子力の黎明期日本政府および電力会社は原発は活断層の上には安全上の配慮として建設しないと確約していたと地震学者のイシバシ氏は述べた。しかし、
地震学が進むにつれ徐々に活断層の場所も明らかになってきたため、政府及び当事者たちも批判に耳をかさないわけにはいかなくなったのである。 また彼は日本列島においては原発は建ててはいけないものとも発言している。

地震学が進むにつれ各地で訴訟の数も増加してきた。原告が勝訴したのはわずか2件のみであるがそれもその後の高裁での判決でくつがえされたのだ。
1970代より14もの訴訟が政府および電力会社にだされたもので対象は3・11以前の18の原発の54機であった。 その二つのうちの一つである石川県のシカ原発にたいする訴訟により1999年に新しい原子炉を停止するというものであった。 その原子炉は断層の近くにあり耐震基準も最新のものではないとされた。 地方裁判所による裁定で2006年停止が決定されたのは、北陸電力がその新しい原子炉が基準をみたしているという証拠が提出できなかったことからであった。

その主席判事であったイドケンイチ氏は今は弁護士であるが、原告が原発を危険であると証明することは一般的には難しいと述べた。 それ以上に原発にかんする技術的な複雑性によるものが多いため、裁定はどうしても国の原子力推進戦略にそう裁定がおこなわれてしまうとも言った。

"思うに安全策がこうじられる道が生じることは否定しないものの、裁判官は政府に刃向かうような裁定は犯したくなく、少数の学者側にたつことはめったにない“という。

この発言を裏づけるのが2009年高裁での裁定であって北陸電力はその後も操業を続けることを許された。その決定において原発は安全だとしていて2006年の新基準も満たしているとした。 
by noz1969 | 2011-05-28 15:55 | 日記
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