協働の楽しみ そして、、、

建築を作る時、様々な協働がある。協働者が有能であり任務に忠実であることが仕事を価値あるものとする必須の条件であることは仕事の中で私が痛感することだ。改めて気付くくことだがその中でクライアントはまず最初の極めて主要な協働者である。不遜に聞こえればお許しいただきたいが、極論すれば建築の「質」を問うこととはクライアントの質がまず問われるとであるともいえそうである。

今竣工を迎えつつある「週末住宅」がある。ここでの試みはそうした協働が面白く展開した結果であると今、思う。ここでのクライアントとの協働はもちろん極めて快適であった。そしてそれにより今回、設計側の協働にも新たな試みを許されることになった。構造の稲山との協働はいつものことであるが、今回はインフィルを小泉誠に委ねることができた。結果は面白く相応の成果を得た。小泉とは立川市役所での協働ですでに成果を得ている。立川で試みたJパネルの家具がその成果である。
そしてここでは私の知るいくつかのドイツ、オーストリーなどパッシブハウス先進国の要素技術的工夫をも採用している。それらはこの建築が成立する主要はファクターでもあった。こうした要素技術の登場もある種、協働といえるのかと思う。これらの工夫を開発展開した一人一人の顔を思うからだ。
建築は「複雑な全体」である。設計の前提は刻々と変わる。それは時代の要請でありわれわれがそれに答えることはわれわれの任務でもある。今回「週末住宅」で試みた設計側の協働は私のチームが今、組み立てることができる「最善」とも思えるものであった。クライアントという協働者にこの試みが了解していただけたことが何より幸運であった。成果は自ずから明らかなはずである。

それにつけてもこれからの建築のために、様々な技術的工夫やその開発が課題であり、その推進が求められる。「これからはこうした建築が求められる」という方向が合意される中でそれを実現するための技術開発が誘導されなければならない。すでに今ある、既存技術はいつも必ず何らかの意味で古い技術である。それが「認定」され、その採用が「強制」され「条件」にされるなかでは次世代のための試みは制限され抑制されることになる。法令もそうした装置の一つである。
先の愛農の減築による耐震化も制度をつかさどる監督者にそれを納得させることにいくばくかの労力をようした。耐震化は制度的にはブレースによるものだけが認定されているのだ。そうであるから学校建築を筆頭にわれわれが見る悪しき景観があちこちに現出しているのだろう。
エンジニアが専門家としてのフィールドに責任を持って参加し、様々な視野でそれに関わり、予断と思考停止を排除し原点から思考することこそが自らが楽しみと責任をを持って任務を遂行する条件である。今回、「福島」を引き起こした理由にこうした不自由な社会がある。根底から考え直さねばならない。
by noz1969 | 2011-04-16 21:37 | 日記
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