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愛農学園がフードアクションニッポンアワード2011の大賞となったことは以前にも書いたと思う。
先日そのパンフレットが贈られてきた。1000以上の大手企業などからの応募の中愛農学園農業高等学校が最高の栄誉となったことが改めて嬉しい。 「農の明日を支えたい!土が香り汗が光る情熱学園 農業の担い手を育てる農業高校就農率45%の取り組み」と題された記事は以下のようなものであった。 日本で唯一の私立の農業高校として半世紀に近い歴史を有する愛農学園。広大な農場に囲まれた全寮制の同校には、農業を志す若者が全国から集い、作物を育て、家畜に親しむ三年間の実践的学習を通じて、埃と喜びをもって農業の明日に立ち向かおうとしている。 日本で唯一の私立の農業高校 三重県伊賀市にある愛農学園農業高等学校は1963年、農業後継者の育成を目的に全国愛農会が設立した日本で唯一の私立の農業高校である。広大なキャンパスには、水田、野菜畑、果樹園、牛舎、養豚場、養鶏場、演習林などが付設され、実践教育の場となっている。生徒たちは全員、寮で共同生活をし、作物を育てる喜びや農業の厳しさを体験的に学ぶとともに、自分たちが育てたものを毎日食べることで、食べ物を大切にし、自然の恵みに感謝する心を育んでいる。同校は持続可能な農業の確立を教育の柱としており、牛、豚、鶏の糞尿は畑の堆肥として活用するなど、化学肥料や農薬を使わない循環型農業を実践している。 同校の存在は全国に知られており、入学希望者も全国に及んでいる。特筆すべきは卒業生の就農率の高さで、これまで1,000人余りの卒業生を送り出しているが、そのうち45%がそれぞれの地元で農業の担い手となっている。過疎化・高齢化が著しい限界集落で農業に取り組む卒業生も多く、村づくりという観点からも同校の果たす役割は大きい。 校内自給率70%の取組 校内自給率を高める努力をしており、海産物を除いて校内の食事はほとんど生徒が育てた作物、家畜でまかない、味噌やしょう油といった基本的な調味料、ベーコン、ジャム、漬物など加工食品作りも積極的に行っている。学校農場では、搾乳牛20頭、採卵鶏2,000羽、母豚10頭を飼育し、果樹栽培は50アール、野菜栽培は70アールの生産規模で、校内自給率は70%に達する。 学校農場で生産した農作物は近隣の直売所をはじめ、地元スーパーや自然食レストランなどに出荷し、イベントがあれば生徒たちが出張販売に出向き、安心できる野菜を求める地元消費者に喜ばれている。また、14年前から毎月1回、学校の支援グループが主催して、校内で生産した農作物を中心に地場の食材を利用した料理教室を開催し、教室で学んだ人たちが新しく教室を開いたり、オーガニックレストランを開業するなど、国産食材の魅力の啓発や自給率向上にも寄与している。 また、エネルギー自給にも取り組んでいる。2010年、校舎をリニューアルし、OMソーラーを導入、冷暖房費を大幅に削減したほか、農業用機械にも一部調理用廃油を使用したバイオ燃料を活用している。2012年度には、バイオガス製造装置を設置したり、菜の花を栽培して、ナタネ油を資源循環に生かす「菜の花プロジェクト」への参加も予定している。 新規就農者への支援も 全国愛農会では、新規就農希望者を支援するため「大学講座」を開催しており、東海地区をはじめ、関西地区などからの受講者もあるなど新規に就農を希望する人たちから注目されている。堆肥作りから土作り、野菜作り、農業経営などを教える座学のほか、愛農高校の学校農場や近隣の農家での体験実習も行っている。 東日本大震災被災地への支援 東日本大震災後、原発事故により地元での農業を断念し、移住先を探している被災者のために、農地や空き家探しなどの支援を積極的に行っているほか、全国愛農会や愛農高校のネットワークを活用して、農業を断念しないよう行政にも受け入れ態勢の整備を働きかけている。また、全寮制という強みを生かし、農業を志している受験希望者がいれば、積極的に受け入れることにしている。 同校の取組は、1998、1999年度の「特色教育振興モデル事業」(旧文部省)に採択されたほか、「日本環境経営大賞・環境創造プロジェクト賞」(三重県主催)、「環境保全型農業推進コンクール優秀賞」(全国有機農業推進委員会主催)などを受賞したこともあって、テレビや雑誌などに多く取り上げられ、それを見て入学を希望する生徒も増えているという。 農業を取り巻く環境が厳しさを増すなか、日本の食料自給の根底を支える農業をめざす若者を育成している同校の存在は貴重である。今後は、高校3年間の学習を経て農業者を志す生徒たちが、着実に農家として自立していくためのサポート体制を充実させ、就農率を上げることで、限界集落の解消に貢献したいと考えている。 アワードのHP上の記事は以下にある。 http://syokuryo.jp/award/award11/list/gpx.html/
1月12日(木)、今朝の NHKTV「あさイチ」を偶然見た。過去の上代からの津波についての研究が紹介されていて実に興味深かった。番組中、東北大 箕浦さんも登場、20年前に貞観津波につき発表した折に様々な脅しにあったことなどを話されていた。特に番組中 北大の平川さんが単身各地の崖をスコップ一本で探査され、次々と数千年にわたる津波の痕跡を調査されている姿は感動すら呼ぶものであった。ひとりスコップ一本という軽微な装備で次々と過去を眼前のものとする。こうしたことはじつは以前から学問の世界では達成されていた。ただその成果を良しとしない勢力がこれの発展と社会化を邪魔していたのである。ここ20年のエコロジカルな試みへの隠微な風評的妨害などと同様のことか、と思った。
以下は同局の番組紹介から。 メインテーマ見過ごすな!“過去”からの津波の警告 <見過ごすな!“過去”からの津波の警告> 専門家ゲスト:岡村 眞さん(高知大学理学部教授(地質学)) リポーター:藤井彩子アナウンサー 東日本大震災を受けて、いま全国各地で、これまでの地震・津波の想定の見直し作業が始まっています。国は先月27日、地震や津波などの災害にどう備えるかについての国の大方針である「防災基本計画」の修正案を発表。これまで、過去数百年程度の地震を元に対策を考えてきましたが、古文書などの資料や地形・地質の調査などを通じて過去に起こった地震・津波を可能な限りしすべて調べ、最大級の災害に備えようと方針転換をしました。 過去の津波を知る鍵とされているのが、「津波堆積物」。この調査によって、文献に記録のない未知の大津波の痕跡が次々に見つかっています。そこからは、「東海・東南海・南海3連動地震」の全貌、そして北海道沖で400年~500年周期で起きている巨大連動地震の新たな可能性が見えてきました。 東海・東南海・南海地震の震源域の変更とは? 先月27日、内閣府の専門委員会は、東海・東南海・南海地震が連動して起こるとされている3連動地震の震源域を拡大する方針を示しました。震源域は、東は、静岡県から名古屋、紀伊半島を経て、四国全域、そして西は九州の日向灘までの、約11万平方キロメートル。これまでのおよそ2倍に拡大されました。地震のエネルギーは、マグニチュード9.0の東日本大震災と同じ大きさに引き上げられました。 2000年前の巨大津波とは? 高知大学教授の岡村眞さんは、池の底の「津波堆積物」に注目し調査をしてきました。池の底には津波によって運び込まれた海の砂や貝殻などが、層になって残っています。これを詳しく分析すると、記録に残っていない津波を調べることができます。 岡村教授は、高知県土佐市の蟹ヶ池の地層から、2000年前頃に起きたと考えられる巨大な津波の痕跡を発見しました。その後、これと同じ津波の痕跡が、徳島県や三重県からも発見されました。これまで想定されていなかった規模の3連動地震が2000年前に起きていたのです。 北海道の連動地震とは? 北海道大学・名誉教授の平川一臣さんは、北海道で連動地震の痕跡を探してきました。平川教授は、 崖に目を付け、津波の層を探し出します。平川教授の調査によって、十勝沖と根室沖でも連動地震が繰り返し起きていたことが明らかになりました。 この調査を受け、現在、北海道でも地震の想定震源域の見直し作業を行っており、今年3月までに結果を発表する予定にしています。 東北地方に再び津波がくる可能性とは? 北海道大学の平川教授の調査によって、東北地方が近い将来、再び津波に襲われる可能性が浮き彫りになりました。その根拠になるのは、1611年に起きて東北地方に大きな被害をもたらした「慶長三陸津波」についての調査です。通説では、東北沖が震源とされてきました。しかし去年、平川教授が行った調査で、北海道の十勝・根室の連動地震によって起きた津波が東北地方を襲った可能性が浮上しました。すると、近いうちに起こることが危惧されている北海道の連動地震によって、再び東北地方を津波が襲来する可能性があるのです。 アウターライズ地震とは? 北海道の連動地震とは全く別の原因で東北地方に再び津波がくる可能性が残されています。それが「アウターライズ地震」というものです。東日本大震災は「逆断層型」の地震と呼ばれ、海側のプレートが陸側のプレートの下に沈み込んでいく過程で陸側のプレートが巻き込まれ、それが反発する事で地震が起きました。 こうした地震が起きたあとで起きやすいとされるのがアウターライズ地震です。地震の後、押さえのなくなった海側のプレートは、さらにどんどん沈み込もうとします。すると、プレートの浅い方の部分が引っ張られて割れ、地震が起こります。この地震は震源が陸から離れているため揺れは小さくても、津波が大きくなるのが特徴です。 逆断層型の地震が起きた後、どれくらいの期間でアウターライズ地震が起きるか、どれくらいの確率で起きるかなど、詳しいことは解明されていませんが、過去に実際に起こった爪痕は断層に残されています。
日経が出版するいくつかのメディアに掲載された記事がケンプラッツ建築・住宅メール - 2012/1/12にも登場している。減築+オーエムの効果がその内容、ご覧下さい。
http://special.nikkeibp.co.jp/ts/article/aa0f/109569/
昨年が昨日で終わった。実に重い年であった。昨年という年の重さは本年以降も長く続くものと覚悟をせねばなるまい。そのことを確認させるように 今日 かなり大きな地震があった。昨年のことはすべて ご破算で願いまして、とは決していかないのだ。歳時記のみで時間が動いているわけではない。地球の時間、地球の都合は人の時間と大きく異なることを改めて考えなくてはなるまい。
そしてフクシマの終わることが無い被害を 加害側はいまだに身をもって考えようとしては居ない。いや 彼らは考える身体を持たないのだ。権力という不遜な装置がその属性として持つ無責任、思考停止をいまほど実感することは無い。 今朝の新聞紙面では相変わらず 呆れるほどのんきなことをいう経団連の会長だが、論調は微妙に変化しているようにも見える。今後訪れるはずの社会合意の劇的な変化には少なくとも5年ほどの時間がかかるのではないか。それに向かいゆっくりと深刻にわれわれを取り巻く思索は深化している、そう信じたい。その兆しは先ほどの経団連会長のコメントにもかすかに見える、期待をこめそう思いたい。。 ただしその間 なお強固に存在する 度し難い旧守派、その排除はどのようになされるのだろうか。
私の取引先は偶然ではあるが城南信用金庫である。以下転載する。
「原発推進は金融機関の仕事ではない」、東電との契約を解除する城南信用金庫・吉原毅理事長に聞く 2011/12/22 伊藤 正倫[日経ビジネス編集] 信用金庫業界で日本有数の規模を誇る城南信用金庫が、東日本大震災後もなお原子力発電を推進しているとして、東京電力との電力契約を解除すると表明した。来年から、本店を含む店舗の大半で新規電力事業者のエネットから電力を購入する。「東電との取引を続けていては、金融機関としての健全性を保てない」と言い切る吉原毅理事長に聞いた。(聞き手は伊藤正倫) ――「原発に頼らない安心できる社会」の実現のためとして、東京電力との契約解除を表明しました。今回の決断に至った経緯を教えてください。 福島第1原子力発電所の事故が発生するまでは、電力供給という公共性の高い企業であるとの観点から、東電の株式や社債を運用していました。しかし、事故後の東電の対応に疑問を抱き、3月中に保有する全株式・社債の売却を決めました。「この会社は信頼できない」という結論に至ったのです。 企業が事故や不祥事を起こすと、その責任を明確にし、再発防止策を徹底することが最低限の責務です。ですが、東電経営陣は「想定外」という言葉を繰り返し、責任を明確に取ろうとしませんでした。今でもそうです。起きてしまったことを「想定外」で済ませていては、企業は成り立ちません。経営者の常識も逸脱しており、東電だけ例外というのはおかしな話です。 融資先などにもPPSの利点を訴える吉原毅・城南信用金庫理事長(写真は新関雅士) さらに東電は、再発防止策はおろか、電力不足に対応するため原発は引き続き必要との立場です。ならば、利用者である我々が東電から電力を買わなければ、東電が主張する電力不足が解消される。そして、原発を使わない電力の供給が増え、原発維持の必要性がなくなる。こう考えたのです。 城南信金は、東京都内などに展開する店舗の大半で東電の契約を解除し、原発を使わない特定規模電気事業者(PPS)であるエネットからの電力購入に切り替えます。しかも、PPSを使えば東電より電気代が安くなる。 当社の融資先などにも、PPSの利点を訴えています。融資先などに毎月配るディスクロージャー誌で今回の取り組みを紹介したところ、「うちも切り替えたいが、どうすればいいか」といった問い合わせも来ています。私は福島第1原発事故を受けて、原発は最大の環境問題だと考えるようになりました。電力購入先を切り替える動きが広がることが、「原発に頼らない安心できる社会」の実現につながります。 ――しかし、中小企業には電力関連の仕事を抱えるところも多い。融資先からはどんな反応がありましたか。 当社の融資先は、東京都内などで不動産業を営む個人が多い。いわゆる家主です。モノ作りなど、いわゆる企業向け融資は全体の3割程度です。ですが、原発関連の部品を製造する融資先もある。こうした融資先は今、原発事故を受け、培った技術をプラント建設など他分野に転用しようとしています。このための資金を提供したり、販路開拓に協力したりすることが金融機関の役割だと思っています。世の中の変化はビジネスチャンスでもある。 “地域消滅リスク”は大げさではない ――東電の契約解除だけでなく、省エネのために設備投資する個人への貸出金利を、当初1年間は無利息とするなどの優遇策も設けています。金融という仕事柄、賛否両論ある原発問題へのスタンスを明確化しすぎることは、業務の足かせとはなりませんか。 明治時代、日本の銀行業の成立に大きな影響を与えたアレクサンダー・アラン・シャンドという人物がいます。彼は「サウンド・バンキング」、つまり健全な銀行業の重要性を繰り返し説きました。健全な銀行業とは、いかに利益が出る企業であっても、社会的に“善”である企業でなければカネは貸さないことだと理解しています。現在は、企業が存続するか否かの観点のみで健全性を語られている印象がありますが、健全性の意味を矮小化している気がします。 城南信用金庫は投資信託などリスク性商品を基本的には取り扱わない(写真は東京都品川区の本店、新関雅士) 少なくとも1970年代までは、日本の銀行は本来の意味でサウンド・バンキングでした。ですが、2000年前後の急速な金融自由化の中で、銀行の目的が「健全な社会をつくる」ことから、収益至上主義に変容していったと考えています。城南信金では、銀行に投資信託の窓口販売が解禁されて以降も、元本割れリスクがあるこうした商品を取り扱っていません。また、「貸すも親切、貸さぬも親切」との標語の下、カードローンなど主に遊興費を個人に融資する業務も手がけていません。 ――東電との契約解除について、信金界から何か反応はありましたか。 特にはありません。ですが、原発がある地域の信金では、域外への移転も視野に事業継続計画(BCP)を策定しているような状況です。大げさではなく、“地域消滅リスク”を感じているのは当社だけではないと思います。私は、原発推進は金融機関の仕事ではないと考えていますが、(東電に多額の融資をしている)メガバンクを含めて、このことに薄々は気付いている同業者も多いのではないでしょうか。
土木学会が1995年、創立80年を記念して出版した「人は何を築いてきたか」という本がある。私の特に愛する書籍のひとつである。広く「土木」と考えていい人々の営為が取り上げられおおむね時間軸で掲載されている。そのひとつひとつが面白い。取り上げられている営為は先史時代の環状列石から今日のものに至る。各項目は写真と解説、それに所在地のわかる地図、データが要領よく記載され、旅行のおりに立ち寄るための格好の手立てと成っている。紹介されている「牛伏川フランス式階段工」はその中で特に行ってみたいところであった。今回それが叶った。
明治期から大正期の膨大な石組みはもちろんあくまでも手加工である。仕事は一つ一つ人により行われ、それによる景観はきわめてヒューマンだ。雑木林の中に穏やかな階段状の長い緩やかな滝が心地よい水の音を響かせている。階段工の始まるところにある説明図の写真を見るとこの穏やかな景観が下流のエリアにまで荒れ狂う土砂流出を繰り返す牛伏川をなだめ人々が作り出したものであることを知る。緩やかな階段に見える場所は写真の中では抉り取ら垂直に近い断崖のようにある。ここを手を尽くし膨大な石積みにより埋め尽くしたのだ。なんと30年をかけこれを作ったとある。 この営為はただ事ではない。人力によるものではあるがじつに巨大な土木工事である。しかしそれによる処方は漢方のような穏やかなものである。もちろん手入れは必要なのであろうがこの穏やかな処置は穏やかな維持でその機能を保つことが出来るものなのではないだろうか。われわれが知る巨大技術、スクラップアンドビルドは時に維持が難しく、それによる景観ががさつである。このこととの対比をどうしても考えざるを得ない。長く使い続ける知恵はこうしたものから学ぶとことが大きい。 散策しながら以前見た四国吉野川第十堰(よしのがわだいじゅうぜき)のことを思い出した。コンクリートで覆われ目に触れることがない堰の下には江戸期の吉野川の分流化工事の折に築かれた膨大な石積みがあると聞いた。それは青石と呼ばれるものであり堰は青く輝き一定量の水は逃す融通無碍なものとしてあったと聞いた。人々は石伝いに対岸に渡ったとも。無粋なコンクリートを剥がしてみたい、と思った。残念だが、先の書籍には第十堰は記載がない。現代の応急的被覆がこの顕彰を阻んでいるのだろう。
フードアクションジャパンアワード2011と言う催しがある。今年は私達が校舎建設に協力している愛農高校がその「大賞」に選ばれた。卒業生の多くが就農すること、有機農業に力を入れていることなどが高く評価されたと言う。様々な部門のたくさんの応募の中でそれらの頂点、「大賞」に選ばれたことは 本当に喜ばしい。
http://ainougakuen2.mie1.net/
建築士会連合会の機関紙に「環境時代の住宅設計」と言う連載がある。その最終回の原稿を依頼され書いた。一部掲載されたものと異なるかもしれない。長文だがここに掲載する。本誌にはある挿絵はここでは省略した。
建築士会連載 最終回 明日のすまい、3.11を超えて 今回 本「士会」機関紙で「環境時代の住宅設計」と言うタイトルで 各地で試みられている様々な住宅設計のうち特に「環境」をキーワードとしそれに即した先駆的事例を約一年半の長期にわたり連載した。この連載により 多くの建築家、研究者に自らの試みにつき記述していただき各地各様の多彩なトライアルを一定の形で概観が出来たのではないかと考える。そこでのさまざまな試みは今日われわれの社会がおかれている極めて深刻で多様ないわゆる地球環境問題に対し何らかの応答を用意するものであったと思う。なぜなら 私たちは今ここに生きているのであり、今ここにある諸課題に対し鈍感ではいられない運命にあるからだ。 私達は この連載の中ほどに今年三月11日に発生した東日本大震災とそれにより引き起された福島第一原子力発電所の崩壊という きわめて大きな災害に見舞われてもいる。震災と津波による甚大な被災とそれからの復興についてその方途を懸命に考えなくてはならないのはもちろんだが、 これにより引き起こされた「原発」の崩壊による甚大な被災は、私達がそれまでの思考の前提を捨て極めて深刻にまったく新たな思索を用意しなければならない=ゼロから全てを考え直し再構築しなければならない=前例のない課題をわれわれに突きつけている。 3,11以降、わたしたちは「環境」について考えることの前提を大きく変えることを求められている、そう考えざるを得ない。考えることの前提を突き動かされる事態となったといえよう。 ひるがえって 住宅、建築はなぜ「環境」と言うキーワードで考えるべきものであるのか。それはこれらが極めて多くの資源を消費し作られること、そして長期にわたり使い続けられるものであるからであり、建設時運用時、廃棄時それぞれの資源使用量が膨大なものとなることによる。 人々は生存のため、利便のために住宅そして建築を必要とする、建築は生存のために必須なものだ。そしてそれらが求められ、建設される地域、それはその地域ごとに気候はさまざまであり気候による負荷の様相も著しく異なる。工夫の方途は地域、気候により様々なはずである。 そうした条件を軽々とクリアーし しかも 出来ることであれば石化資源使用を最小に 可能な限りゼロに近づけたい、これが私たちの究極の目標であるはずである。そしてこの課題はなにも住宅に限らないもっとひろいものであることもここで改めて述べる必要がない。資源は有限である。20世紀における人口に急増、特に先進諸国の使用資源使用量の驚嘆するほどの急騰はわれわれが「意図的」に自覚しなければならぬ事実としてある。その上 それによる負荷、その典型としての地球温暖化の急速な拡大という直接的被害もわれわれの眼前にあるものだからだ。 よく知られることだが使用される多くの資源、そのエネルギー転換はたかだか数十パーセントほどの効率で行われるに過ぎない。残りの過半は何らかの負荷としてわれわれの周辺に残存し長期にわたり存在する。端的に言えば発電所の発電効率は30~40パーセントほどであり 残余は海を暖め大気を温めているのだ。温暖化の原因は単にCO2のみに帰するわけではない。 われわれは市民としてそしてこの閉じた「宇宙船地球号」の乗員として加速度的に上昇する資源使用、それに伴いこれも加速度的に上昇する温暖化を少しでも緩やかなものとするため、生活の全体を「意図的」に見直すことが求められている。 建設に何らかの形で関る建築士会メンバーである私達が、われわれ専門家としてわれわれの職能の領域にある「住宅」「建築」の資源使用をその建設段階から、運用、廃棄の段階にいたるまでを包括的「意図的」に考えることは社会に対する職能の責任であり任務である。 そうであるとすれば その作業を通し私達は「市民社会のひとりとして」の われわれひとリひとりが 自らの生活に関るあらゆる資源使用についてもそれらの根本から考えなおすことをし、それについて極めても「意図的」になることが求められているということに他ならないのだろう。そうする中でエネルギー消費のより少ない生活を工夫し よりましで的確なエネルギーを自ら選択し その使用を試みる、そして今より一層そうしたことが容易であり可能な社会を求めそれを構築することを われわれは選び取らなければならないだろう。 今日 負荷のより少ない「自然エネルギー」の効率的使用の道もその効率を著しく高め、新たな形のエネルギー取得の方途も様々に開拓されつつある。効率、性能を着々と向上させ価格の低下も著しい太陽電池はその代表的事例だろう。「意図的」であると言うことが新たな領域をいきいきと切り開くのだ。 負荷の少ない資源とはこの地球に降り注ぐ太陽エネルギー、たとえば光、熱など、そしてその元でこの地球自体がもつメカニズムによるもの、たとえば風、河川、海流、地熱、気温など、そしてそれによってはぐくまれ、尽きることがない循環を繰り返す植物、動物のもついわゆるバイオマスエネルギー、たとえば 木材、堆肥、などである。これらは18世紀末に始まる産業革命期=化石燃料=石炭の使用の開始=以前私達人類の生存を永きに渡り支えてきた資源そのものだ。 周知のことだが われわれより早く、ほぼ20年ほど前から 石化エネルギー、原子力エネルギー利用を抑制し少しでも自然エネルギーに依拠する社会の構築を目指した諸国がある。北欧諸国、ドイツ、オーストリー、スイスなどがそうした国々である。こう並べてみるとこれら諸国が今から25年前に原子力発電所の大事故を起こした当時のソ連、チェルノブイリ発電所の近傍の諸国であることにあらためて気付かされる。これら周辺諸国では「チェルノブイリ」は極めて深刻な事件としていまだにその影を落とし続けている。25年前の事件、それからの時間の中でこれら諸国は核融合によるエネルギー取得のオルタナティブ=もうひとつの解=の必要を痛感し、自然エネルギーの効率利用を真剣に模索し始めたのだ。そして 多様、多彩に自然エネルギーの利用、開発を推進、それにより きわめて多様な新しい産業、制度、仕組みを生み出し、それらを一大産業に育て上げまったく新しいまちをつくりだしてもいる。これら諸国の風力、バイオマス、地熱、太陽光等による電力エネルギー生産が総生産量の数十パーセントに上ることは つとに知れ渡る。そしてそれらを支える新たな製造業の展開も目覚しい。 もちろんエネルギー使用を縮減するのための建築的工夫も様々に工夫されその成果は注目に値するものだ。ドイツ、オーストリー発の「パッシブハウス」の基準は着々とゼロエネルギー住宅に近づきつつあり、マッシブホルツと称される 大型木質パネルによる工法は中層から高層の集合住宅工法をコンクリート造から木造に大胆に切り替え、結果 コンクリート使用を低減ししかも軽量化により作業効率をも大幅に高めてもいる。 そしてこれら建築のパッシブ化、ゼロエネルギー化を支える建築部材の開発も多彩だ。バルコニーからの室内側への伝熱=ヒートブリッジ=をカットする部材はドイツのひとりの研究者により開発、製品化され彼自身が起こした企業により量産され 既にその使用はEUの過半の国々で義務づけられていると聞く。 自然エネルギー、バイオマス資源とは 人類が50万年前に「火」を使用して以来 17世紀末の産業革命期に至るまで永きに渡って我々の生命の持続を保証してきた循環する恵みであり資源である。これに再度着目し その誠実で綿密で無駄のない利用を考えること、それが今日の主題となる。可能性は極めて高くこの分野の工夫は実に面白い。いうまでもないがコンピュータによる演算速度の飛躍的向上がそれを支える。気候分析などの緻密なシミュレーション、風車のブレードなど機器の効率化、そこに多くのアントレプレナーたちの成果がある。そしてそれらを援護し誘導する社会がある。 先日 環境取り組みにきわめて熱心な建築家の設計した施設に設置されたバイオマスボイラーの燃料であるチップの乾燥度についての話を聞いた。バイオマスボイラーに取りチップの乾燥度は命である。乾燥が甘いとボイラーは自らの燃焼の維持のために燃料を消費しつづけることになる。しかしスイスからボイラーを輸入した大手熱源機器メーカー担当者はチップの乾燥度の重要性について全く知見を持たなかったと言う。一方20年ほど前からこれらの工夫を重ねているドイツ オーストリー諸国ではチップ乾燥に太陽熱による温風を利用、事前の品質管理を徹底して行っている。そしてバイオマス資源の積極利用はわが国と同様、いやそれ以上に高い人件費のそれら国々での森林管理を経済的に成立させ森の荒廃をも防ぐ結果となっているのだ。 まれな例ではあるが 北海道 下川町でこれと同様の事例を見る。下川の森林からは枝,葉の類まで搬出され炭など様々な製品に加工、商品化されている。結果、山は極めて整った姿を見せる。われわれにできないわけではないのだ。そのうえ2008年には「環境モデル都市」の指定を受けたこの町には先年 環境省が推し進めた「環境共生型モデル住宅」の建設も行われ下川産の木材の徹底利用によるQ値0,8のすまいが出現してもいる。なんとここでは壁300ミリ屋根500ミリの断熱材までが地元産のウッドファイバーである。 しかし残念ながら われわれがこうした自然エネルギー利用の工夫を開始してまだ数年の経験しか持たない。私達は一からこれら技術の習得、開発を試行錯誤を楽しみながら自らの手で実感を伴いながら始めなければならないのだろう。 そして きわめて遺憾なことに、これまでこの国では 自然エネルギー利用などの原発に対するオルタナティブとみなされるものへの、推進策誘導策は積極的には採られることはなく、ごく小規模な試みでさえ隠然と排除され無視されてきた歴史があるようだ。むしろ自然エネルギーはあてにならず、不安定で、利用価値の低いもの、とするプロパガンダのなかに私達はあった。 福島の被災を経た今、我々は いま まさにチェルノブイリ以降の西欧諸国と同様の環境の中にある、といって良いのではないか。「もうひとつの解」=オルタナティブを今こそ私達は持たねばなるまい。少なくとも「絶対安全」で何の備えも必要がない万全で無謬なものが人間の作り出すテクノロジーのなかに存在するはずがない、という考えてみればごく当たり前のことに痛いほど気づかされたのだ。私たちは「自然エネルギー」こそ安全で持続可能なエネルギーであると言うプロパガンダを展開する必要があるのではないか。半年前までの電力会社のCMの「SUWICH」というスローガンを化石エネルギー(ウランを含む)から自然エネルギーへの「スイッチ」の意としなければならないのではないか。と思うのだ。 3,11を経てわれわれはどこに行くのか。3,11を遡ること約4ヶ月前、2010年12月17日に国土交通省国土計画局が作成発表した「国土の長期展望に向けた検討の方向性について」という興味深い資料がある。国土の将来を様々なテーマに沿って統計的な予測を施したものであり確度は相当程度高いと思われる。これは今も国交省のHPからダウンロード可能だ。http://www.mlit.go.jp/common/000134593.pdf これによるとわが国の人口は高々40年ほど後、2050年には九千五百万人ほどとなるという。今日、中学生の少年達が働き盛りの五十歳を迎えるころ この国はなんと今より三千万人ほども人口の少ない縮小した社会となる。この資料によればこの時期 今日過疎と言われる集落のほぼすべては無人となる、とある。そしてかろうじて人口減を免れる大都市郊外では今日の数倍の高齢化が出来しているというのだ。さらにその五十年後の2100年、つまり 今日 生を受けた赤ん坊が90歳を迎えるころのこの国の人口はなんと4千5百万人ほどなのである。今の人口の約三分の一強ほどである。そして この人口4千五百万人の国土とは明治期の半ばとほぼ等しいという。その間 ここ百年の著しい人口膨張とその急激な凋落とはいったいなんなのだろうか。 急速に縮小する社会は今日われわれが作り出し 後世に遺す膨大な借金を背おわなければならない。またこれからの社会は社会資本整備の名でわれわれが作る膨大なインフラを維持し管理することができるだろうか。果たしてそれらインフラは縮小する社会に取り本当に必要だろうか。 今日すでに山村に赴くと用を失い、もてあまし気味の空き家となった学校建築、庁舎建築をみる。過疎化そしてそれがもたらした町村合併の結果だ。 私は この劇的な人口縮減は今回の被災によりよりその速度をいっそう速めるのではないかとも思う。そうであれば いまある資産をいまのうちに急ぎエネルギー消費のより少ないものとしなければなるまい。余剰をこれ以上作り出すことは控えなければなるまい。いままでの社会が不足を補うために新たに作ることを「建設」といったとすれば、今後はそれらを適正な規模に整える、縮減することを「建設」と言いうのかもしれないのだ。今日に至り 住宅そして建築を長く使い続ける、サステイナブルな社会、とはついに 縮小する社会にあわせ建築の規模、用途の適正化を求めるところにまでたどり着いていると考えるべきであろう。それは決してつまらない社会ではないと確信する。身の丈にあい、穏やかで落ち着いた社会であるはずだ。 それにしても今回のフクシマの災禍は90年後、四千五百万人の国になるときが来てもなお終わることが無く その対応に多くの尽力を必要とするもののはずではないのか。 リスボンの地震とそれが引き起こした津波(1677)では約6万人の死者があったという。その後250年のポルトガル社会がたどった歴史が思われる。 「環境時代の住宅設計」の連載を終えるにあたり これからのわれわれの思索と行動の質のこれまでにない重さを思う。
毎日新聞で知りました。残念です。
謹んでご冥福をお祈りします。 以下「毎日」より転載します。 オフィスビル建築の第一人者で、毎日新聞東京本社があるパレスサイドビルなどを設計した建築家の林昌二(はやし・しょうじ)さんが11月30日、東京都内で死去した。83歳。 東京工大卒。1953年、大手設計会社の日建設計に入社。設計を手掛け、66年に完成したパレスサイドビル(東京都千代田区)は、両端にそびえる2本の円柱(エレベーター棟)と、横200メートルのガラス張り壁面に縦横に走る雨樋(あまどい)やひさしが特徴。機能的でありながら快適な空間を実現させて、モダニズム建築の名作とされている。 71年にはポーラ五反田ビルで日本建築学会作品賞を受賞。その後も、中野サンプラザ(73年)、新宿NSビル(82年)などの大型建築を次々と設計。限られた予算や時間内で資材などを工夫し、豊かな空間を作り上げる手法は「貧困の美学」と呼ばれた。 80年に日建設計副社長に就任し、のち名誉顧問。日本建築家協会会長などを歴任した。妻は建築家の故・林雅子さん。
11月23日、熊本アートポリス和水町立三加和小・中学校設計業務公募型プルポーザルの二次審査が行われ、NNSH設計共同体が最優秀賞を獲得しました。
NNSH設計共同体は野沢正光、中村享一氏、柴田真秀氏、東大森裕子氏の設計共同体です。 http://www.pref.kumamoto.jp/site/artpolis/mikawa-2.html
あれこれあわただしいことあり ブログ投稿を怠っています。ご無沙汰です。
近況を二つ 1、先日10月21日 金曜日の朝日新聞夕刊の連載記事「ニッポン人脈記」建てる 守る 願う」に登場しました。数週間前に記事に署名のある編集委員の方の取材があり 数時間はなしました。話は彼の取材により判明した様々な事柄に及び、私はそれを面白く聞く、といった時間でした。興味のあることについて徹底的に調べる、その興味の持ちようが新鮮でした。建築関連の人々の中での取材は一定のコードがある、と言うことを思い知りました。ジャーナリズムの面白さです。私の話した何本かの関連しそうなトピックスの中のひとつが記事になった、そんな印象です。しかし新聞記者の力というものに改めて感じ入りました。 2、もうひとつ 最近 二つの学生用のテキストとしての(多分)出版物に我が家が取り上げられました。ひとつは日本建築学会編 「設計のための建築環境学」みつける.つくるバイオクライマティックデザイン 彰国社刊で、学会の環境工学本委員会傘下のバイオクライマティックデザイン小委員会のかたがたによるものです。我が家の仕組みが紹介され実測値のグラフの掲載もあります。わが事務所のOB広谷の関与によるものです。コラムとして私と高間三郎の短い対談まであるという充実振りです。最近の環境工学の立ち位置を説明する充実した一冊と思います。 もうひとつはこれまた彰国社から出版された「住宅の空間原論」遠藤政樹、小泉雅生、佐藤光彦、下吹越武人著です。こちらは身体、流れ、光と熱、などの多様で周到なキーワードみより様々な住宅を紹介するもの。選ばれた住宅(なかには浄土寺浄土堂のような非住宅も)も多彩でおおむね全ての図面が同縮尺に表示されるなど工夫に富んだものです。 どちらも学生さんだけのとどめておくのはもったいない、と思えるものです。書店でご覧下さい。(書店にあるかな??) この賛辞は決して私の家が掲載されているからと言うわけではありません。念のため。
「住宅特集」10月号が刊行された。ここに神大、中井さん、曽我部さんの両研究室学生諸君による我が家を解剖する「建築家自邸からの家学び」後編が掲載されている。今回は先回、部品として並べられた膨大な数の10分の一の部品群が組み上げられ 断面模型の体裁での掲載である。今回 前回を越えて家具の類が追加作成されてもいる。部品=ビルディングエレメントの過半をつくりそれらを組み上げる、というプロセスをこんな形で実行したプロジェクトは他に聞いたことがない。関った方々は膨大な作業量を費やしそれを作り上げることで実感を伴った「学び」になったことと思う。
この模型の展覧会を開くことが出来ないだろうか、と言う動きもある。実現したら 多くの人に驚いてもらうことが出来るだろう。その折は部品として並ぶのであろうか、また組み立てた形での展観であろうか。はたまたその中間か??
千駄ヶ谷駅を抜けるのに小一時間を要した。駅構内の通路、立ち止まり動かぬ群集が炎暑の中、穏やかにわずかな進行を待つ。肩車された子供までもが。あまりない光景だ。偶然隣の隣になった他人と話しをする。これは電車内からのことでもあった。「信濃町まで行って下車したほうが良いようですよ}などと。
明治公園の周辺までも人の波、もちろん多くの人々が会場の中に入ることが出来ない。子供連れの女性が多い。この人たちが特に今回の問題に敏感な人たちだ。会場から聞こえる声を聞きながらこれら周辺を埋め尽くす人々はパレードと言う名のデモ行進の出発を待つ。 3,11以降 これほどの集まりははじめてとのことだ。こうした方法の他に声を上げるすべがないとすれば何回でもこれを繰り返すしかないのだろう。考えることと、行動すること。そしてそれを広く広げること。そしてこれを本当の力にし変革を必ず実現する、私達はこの道筋を成功させなければならない。
静岡に一風変わったドミノが出来た。われわれの設計、どうしたことか私と同名の「野沢工務店」の施工による、同工務店のモデルハウスである。この三連休がそのお披露目。日曜の午後、会場にお邪魔した。驚くほどの見学者で、お祝いに駆けつけた他の工務店の方々も驚いていた。
敷地はモデルハウスにはぴったりの街道沿い。大変よく目に付く立地。前面の道路は交通が頻繁。敷地の南北軸ががほぼ45度振れていた。そのためにドミノの特徴であるハット(オーエムの集熱屋根)が対角に置かれ、、45度振れた屋根形状となった。西日東日を緩和するための格子戸が付加され、様子が変わったものとなっているがこれは道路からの視線を遮る役割も果たす。 既存住宅の改修の実験の中でも 南に正対した住宅はきわめてまれであり、通常のひさし長さでは夏の日射が室内に侵入、大きな負荷となっていることを実感したが、ここでの格子戸はその負荷に対し一定の役割を果たしているようで安心した。 ドミノは地域に即した変貌をすることが可能であり、それを目指すことを標榜するが、敷地ごとの特性を生かすことももちろん住いをよりすみやすく地域の景観にとりより馴染みのいいものにするはずである。 「野沢工務店」は今回の仕事を心から面白がってくれていた。地域の信用も抜群のようだ。こうした積極的な工務店によってこれからの住いづくりが担われていくことに大きな安心を思った。 ![]() ![]() ![]() ![]()
この事態に至っても相変わらず反応の鈍いのはとても気になります。思考停止が蔓延しているのでしょうか。
「さよなら原発1000万人アクション」の最終日19日の「五万人集会」が19日の敬老のに明治公園で開かれます。呼びかけ人の 落合恵子さん 大江健三郎さん 内橋克人さん 鎌田慧さん山本太郎さん 武藤類子さん(ハイロアクション福島原発40年実行委員会)ドイツからのゲストなどからの話など集会のあとに三つのコースでデモ行進があるとのこと。今回はメディアも無視できない大きな集まりにしなくては、と思います。ぜひ連れ立ってご参加下さい。 http://sayonara-nukes.org/2011/09/110919_s-2/#more-422/
新建築 住宅特集の連載の企画に建築家の自邸を大学研究室が「腑分け」「読解」するというものがあり、今回その8回目が我が家であった。神奈川大学 曽我部研究室と中井研究室の合同での作業が既に発刊の今月号と次号の二回に渡り掲載される。「腑分け」「読解」の手法は過去の事例でも各大学研究室によりさまざまだが、今回驚いたのは我が家の10分の一の模型製作によりそれを行うという壮挙である。今月号には我が家のほぼ全て、(家具にいたるまで)のビルディングエレメントがずらりと並ぶ見開きのページがある。壮観である。はじに写る人の横顔や手などの大きさから10分の一の大きさを実感ていただきたい。分けてもグレーチングを造った学生の綿密さには驚く。どれほどの作業時間であったか。
次号には組みあがった模型が登場するということでそれを見せていただくため大学にお邪魔したが、今回掲載された写真撮影時以降なお模型製作は進行し椅子の類にいたってはそのほぼ全てを網羅、10分の一のスケールが成し遂げうる総体に驚いた。学生諸君、本当にご苦労様でした。 ちなみに新建築Onlineに動画も掲載されています。ご覧下さい。
久しぶりに建築についてのニュースです。
この春に竣工した「信濃境の週末住宅」が新建築 住宅特集の今月号に掲載されています。ご覧下さい。一階をコンクリートの外断熱 二階を木造とした二階建て、架構は例によって稲山さんです。今回 小泉さんとインフィルを協働、これが記事では大きく取り上げられています。新建築Onlineでムービーがご覧いただけます。 http://www.japan-architect.co.jp/jp/
ヘラルド翻訳No.15 2011/6/20
日本では福島から遠く離れた場所でも緊張する状況が存在する 日本敦賀発 一面掲載記事 記者名 タブチ ヒロコ 3・11以前に被害を受けていた120億ドルの核計画が安全性に問題ありと窮地に追い込まれている 福島から南西に500km離れた半島にある田舎町の原子炉では技師たちが福島とは異なる危険な苦労を強いられている。 国の政策として始められた高速増殖炉もんじゅだが初めからトラブル続きの原子炉であり不安定なため停止されたのは3.3トンもの装置が原子炉の内部に落下したことで炉心の中に置かれているプルトニウムとウラニュームの燃料棒に対して制御が不能になったためである。 技師達は昨年8月の事故から再三に渡って装置を元に戻す試みを行ったがその作業は暗礁に乗り上げている。 今週にもまた再開する見込みであるものの、 もんじゅでは冷却用に可燃性の液体ナトリウムを大量に使用しているためその作業は危険なものになると専門家は警告している。 もんじゅ原子炉は資源の乏しい日本において国のエネルギー政策の根幹をなすものと位置づけられていて、近い将来核燃料を作り出しかつまた再利用を即するものであるが、もんじゅは日本での原子力に対する野望とそれがはらむ危険の対立構造を表している。 これは120億ドルの国家計画であるが安全に関しては終始問題続きであった。 1995年に火災を起しこれによって14年間停止の憂き目に会ったのだが、この火災は今回の福島第一の災害以前で起きた深刻な日本での原子力発電所の大事故の一つとされている。 このとき県と市町村は会社がヴィデオ画像を捏造することで事故の規模を小さく見せかけたことを見抜いた。 この時の会社の責任者は資源エネルギー庁がこの事故の回復には2,190万ドルもの費用がかかると発表をした後自殺した。 そしてこのもんじゅもその他の原子炉と同様に活断層上に建っているのだ。 この落下装置が取り外されたとしても原子炉再開は過去の経緯を鑑み且つ、プルトニュームを燃料に使用しているため危険であると発言するのが日本の原子力政策の監視を行う、原子力資料情報室共同代表の伴英幸氏である。 もんじゅは人口150万の京都から100kmのところにあり、深刻な事故が起きるとその高速増殖炉設計を考えるとチェルノブイリ事故と同様又はそれ以上の反応を起すとことになると専門家は言う。 もんじゅに反対を唱える人々はこの計画が立ちあがった1970代から反対を唱えてきた。 反原発福井県民会議(?)の事務局長であるオギソミワコ氏は “日本で最も危険な原子炉”“日本で最も無意味な原子炉”と述べた。 安全の改善、多大な交付金と公共事業を国が約束することで地元市町村の同意をとり再開の運びにいたった。 福井県は原発誘致にもっとも積極的な県でありすでに14機の原子炉が建設されていてそれに続くのが福島県の10機となっている。 もんじゅは20105月に再開されたもののわずか3ヵ月後には、3.3トンの燃料を送り込む装置が固定用のクラッチがはずれたために圧力容器に落ちる事故を起した。1991年の試運転から20年たったがこの原子炉の発電はわずか一時間分と言われている。 日本ではもんじゅで諸外国があきらめて久しい技術を極めようとしてきた。数十年も前アメリカを含むわずか数カ国のみが同じことを試みたものの、技術的に非常に困難であることと、兵器級のプルトニュームが繰り返し生産されることに対しての恐れからほとんどの国が計画を諦めたのだ。 しかし日本は頑なに計画の続行を選択した。 菅首相が首相に就任した2009年9月から国家予算削減が行われたにもかかわらず、もんじゅの予算には手をつけてこなかった。 政府の計画では2050年までにもんじゅを使って高速増殖炉の商業利用のための技術開発を行うというものであった。 菅首相は最近になって原子力政策の洗い直し作業に必要性を説いたが、もんじゅ原子炉の将来については言及しなかった。 専門家によるともんじゅにしがみ付くこの様な姿勢は昔から日本が原発を地域社会に売り込んできたことに根ざしているとしている。 市町村が原発誘致になびくように日本政府は数十年にもわたって高い放射線量の使用済み核燃料は地元に留め置くことなく、それを新たな燃料として繰り返し使用するものと地域を説得してきた。 原子炉燃料サイクルの一部を諦めることは、政府が市町村に対して使用済み燃料を永久に留め置くことを説得しなければならなくなる。 “どんな市町村でもそんなことを受け入れるところは無く、ここにきて日本の全ての原子力計画が容易に進めなくなる事態になった”と発言するのは京都大学原子炉実験室で高速増殖炉の研究員であった小林けいじ氏。 技術は常に危険と抱き合わせである。 商業用の原子炉では通常冷却には水が使用されるが、もんじゅ では1,600トンもの液体ナトリウムが使われるがこれは非常に危険な物質で簡単に水、空気に反応する性質をもっている。 およそ1,400トンの毒性の高いプルトニューム燃料が原子炉内にあるといわれ、それがウラニューム使用の軽水炉よりもより危険性が増大すると専門家は述べるのだ。 そうは言っても もんじゅ の再開は始まっている。 昨年10月には作業員がクレーンを使用して100kgの荷重をかけ落下した装置を吊り上げようと試みたものの、24回の失敗のあと諦めたのは原子炉に負担をかけることを恐れたからであった。 5月半ばから作業員は異なる戦略で新たな試みに取り組みを始めた。それは様々な工具を使用して原子炉のふたについた障害物を取り除く作業で今週にも原子炉のふたの一部を取り外す作業をおこなうものとされる。 作業に当たって作業員は別の危険にも直面する。 原子炉内にはアルゴンガスが注入されることでナトリウム燃焼を抑えるのだが、密閉された空間では窒息状態を引き起こすからである。 そして今以上に原子炉の下に落ちることにでもなれば被害はより甚大になるのだ。 原子力機構は今月末までにはその作業が終了するとしていて、原子炉再開前までに大掛かりな安全検査をおこなうことで地震や津波に対処するとしている。 “落下した装置は今回必ず取り出す”と発言するのは福井原子力技術研究所のタケダ トシカズ氏で最新の原子炉修理を承認した政府の委員会の長である。 技術者により取り外しの手順は再考され、クレーンの取り扱いを完璧な状態に保つことで装置を原子炉内から取り出す計画であるとするとされる。 装置が取り出された後厳しい検査を行うことでパーツの確認や損傷が無いかを詳しく調べるという。 摂氏200度まだで温度の上がった液体ナトリウム冷却材であるがために、落下した装置が原子炉に与えた影響がどれほどのものなのかを正確に把握するのは不可能と言われる。 タケダ氏いわくそうであっても もんじゅ 一年以内の再開のための準備終了を目指していると述べた。 “日本には原子炉燃料サイクルは必須。それは日本の燃料供給は永遠ではなく、ウラニュームは数百年プルトニュームは数千年も持続するから”と述べた。 福島のつまずき 記者名 Ken Belson 東電は福島第一に設置中の放射線除去システムが開始わずか5時間後に機能せずに停止し、原子炉冷却の努力が後退したと発表した。 土曜日の発表ではこのシステムは原子炉冷却用の水から油、放射性物質、塩分を除去する設計なのだが停止してしまった。 ろ過システムの導入は原子炉内に溜まった放射能に汚染された数万トンにも及ぶ水の保管所不足を補うためのものであった。 汚染水タンクは地下に置かれたりその他の保管場所におかれているが、全てが数センチを残し満杯とされていて、低レヴェルとはいえ数千万トンもの汚染水が海に棄てられるのも時間の問題とされている。
「みんなで決めよう 原発国民投票」のことを一部新聞紙上でご覧になった方もあるかもしれません。とはいえ記事は小さく広く多くの人々に知ってもらうことが出来ていないようにも思えます。メディアはまだ戸惑っています。
http://kokumintohyo.com/
かぐや姫と王権神話 ~『竹取物語』・天皇・火山神話 (歴史新書y) の著者保立 道久さんのブログを時折見ています。貞観津波の関連情報を探す中で知った方です。この著書も手に入れ興味深く読みました。火山と地震がこの国の人々の考え方の根本にあることを確認しました。こうした様々な思索が 豊かに存するのにそれを無視する「無知」が強大に存在したことがいまさらながら残念です。以下は最新の記事の転載です。
保立 道久さんの研究雑記というブログは http://hotatelog.cocolog-nifty.com/blog/ です。 以下連載します。 2011年6月19日 (日) 福島第一原発の状況がたいへん心配である。 福島第一原発の状況がたいへん心配である。このままでは汚染水がさらにあふれる可能性がきわめて高いと思う。 以下は、金融ファクシミリ新聞のTOPインビュー「情報を開示し子供と妊産婦を守れ」という松本市長菅谷昭氏の談話である。私は余震・大雨その他の状況によってきわめて深刻な事態が導かれる可能性は依然として強いと思う。 早く地震論について歴史家として語りうることを最後まで確認したいと考えている。 聞き手 編集局長 島田一 ――今や日本国民は何を信じればいいのかわからない状態だ。チェルノブイリ原発事故の医療支援活動を5年半にわたり従事されたご経験からいかにお考えか…。 菅谷 もはや、国、東電、安全保安院の3つとも信じられないというのが一般論だ。日本国民は、自国の政府が信じられないという一番不幸な状態にある。また、そういった大変な状況にあるということを、政治家たちの多くが認識していないということも、さらに日本国民を不幸にしている。そんな中で民主党だの自民党だのといがみ合っている日本という国は、国際レベルで馬鹿にされても仕方がない。残念だが、海外からの日本の評価は本当に落ちてしまっている。国家の使命とは、国民の命を守り、国を守ることだ。確かに産業経済も大事かもしれないが、国民の命があってこそ、その上に産業経済があり、金融があり、国際的な立場がある。私は今のような状況を見ていると本当に残念で、寂しくて仕方が無い。 ――次から次に後出しで悪いニュースが発表されている。このような政府の対応の仕方については…。 菅谷 非常にまずい。それは、誰も原発事故を身近に経験したことがないために、何もわからないからだ。私は、チェルノブイリで経験してきたことをもとに、事故発生時から「最悪の事態を想定して対策を考えておくべきだ」と主張してきた。しかし結局、今回の事故で政府や東電は何ひとつ対応出来ていなかった。すべて経験がないからだ。そもそも、自然災害と原子力災害が全く違うものだという認識も、今の日本人には少ないと思う。被災者には大変お気の毒だが、地震や津波の瓦礫だけであれば、みんなで力を合わせて片付ければ、そこは必ず復興して住めるようになる。阪神淡路大震災の時も、日本人の皆が頑張って、その能力や財力を集中したことで現在の兵庫県のように見事に復興した。しかし、放射能災害では汚染された場所に再び定住することは基本的に難しい。実際にチェルノブイリ原発事故が起きた周辺30キロゾーンは、25年たった今でも強制避難区域が解除されていない。それだけ土壌汚染が酷いということだ。 ――避難区域にしても、徐々に拡大させるような方法ではなく、まずは50キロ圏外に避難させて、その後、安全を確認しながら範囲を狭めていくような方法をとるべきだった…。 菅谷 私は事故当初からマスコミなどの取材に対して、最低30キロ圏外に避難するように言ってきた。そして、最悪の事態を想定して、放射性ヨウ素による内部被曝から子供を守るために、無機の安定したヨウ素剤を飲ませるという放射性物質のブロック策を提言していた。しかし、内部被曝がどういうものなのかも知らず、中央政府には、松本という地方から発せられた声はまったく届かなかったのだろう。暫くたってから、そういった提言が当たっているということで報道関係等から呼び出しがかかるようになったが、放射性物質が体内に入ってしまってからヨウ素剤を内服したところで、もう遅い。一旦、体内に入った放射性物質は身体の中にとどまって被曝し続ける。そういった意味でも、日本は本当に不幸な国だ。 ――内部被曝の問題は、今一番の心配事だ。特にこれからの日本を担う子供たちのことを考えると、放射能被曝基準をもっと慎重に議論する必要がある…。 菅谷 基本的にICRP(国際放射線防護委員会)では、一般の人の年間許容被曝量を、内部被曝と外部被曝を合わせて1ミリシーベルトと定めている。20ミリシーベルトというのは、放射線に携わる人たちが非常事態に陥ったときの許容量だ。「非常時」と「居住する」という状況では訳が違う。もともと原発推進派だった小佐古東大教授も、20ミリシーベルトを小学生などの基準に認めることは出来ないとして内閣官房参与の辞表を出したが、あの時、彼の口から「自分の子供だったら」という言葉が出た。それが本当の人間のあるべき姿だと思う。私は外科医なので、手術をする場合は必ず、「患者が自分の子供だったら、妻だったらどうするか」と考え、当事者意識を持つようにしている。 ――食品の安全性については…。 菅谷 原発大国日本において、これまで食品における放射性物質の基準値がなかったというのは驚くべきことだ。今回の事故があって初めて厚生労働省は、ICRP(国際放射線防護委員会)とWHO(世界保健機構)とIAEA(国際原子力機関)が決めている値を参考にして、日本独自の暫定規制値を定めたのだが、私はその時の食品安全委員会への諮問に呼ばれて参加した。委員会のメンバーは、基本的には学者ばかりで実体験のない人たちだ。私はそこで、「規制値は出来るだけ厳しくした方が良い」と提言した。もちろん、私も自治体のトップという立場から、生産者の立場も理解しており、何でもかんでも厳しくしてしまうのが良いわけではないということも理解している。ただ、今回の場合、子供たちのためを思うならば、厳しくしておかなくてはならない。大人については、基準値以下であれば仕方が無いとして口にするものでも、せめて、子供や妊産婦はきちんと守ってあげなければならない。しかし、会議では「甲状腺がんは性質が良いから命には関り無い」と、平然と言う学者もいて愕然とした。私はチェルノブイリで、小さい子供が癌の手術を受けて、毎日切ない思いを抱えているお母さんたちを実際に見ているから分かる。こういった思いを抱える人たちを、これ以上出したくないから、規制値も厳しく設定すべきだと思う。しかし、そういった光景を目の当たりにしたことの無い人たちには、癌に侵された子供や、その母親がどれだけつらいものなのか、どれほど切ないものなのか、わからないから、放射線の専門家という立場で意見を述べ、それをもとに規制値が決まっていく。日本ではこういった実体験を持たない人たちが、政府の諮問委員会に入って色々な物事を決めていってしまうということを初めて知り、驚いた。国民の本当の立場など考えていない。それはとても恐ろしいことだと痛感した。私は、食品に関しては、汚染されているということが分かっているのであれば、乳幼児や学童、妊産婦はできる限り口にしない方が良いと思う。被曝許容量にしても、学者によって20ミリシーベルトで大丈夫と言う人もいれば、駄目だと言う人がいるが、それは結局、放射線被曝に関して将来のことがよく分かっていないからであり、そうであれば、厳しい基準を適用するのが当然だと思う。「あまり厳しいことを言うとパニックになってしまう」と考えて緩い基準を推奨し、「でも、30年後のことは私にはわかりません」というようなことは、無責任ということに尽きる。 ――チェルノブイリ事故では、政府が情報を隠蔽してしまったことが一番の問題だった…。 菅谷 当時、旧ソビエト連邦の中で一番大きな祭事だったメーデー直前の4月26日にチェルノブイリ事故は起きた。それは国民に知らされること無く、子供たちは学校のグラウンドで、国をあげての一大イベントのために一生懸命リハーサルに励んでいた。その結果、被曝した子供達が癌に侵された。放射性物質に汚染された地域と知りながら、今もその場所に住み続ける人ももちろんいるが、そこに住む子供たちは、免疫力の低下で感染にかかりやすく、貧血の症状も出ている。また、そういった母親たちから新たに生まれる子供たちも、子宮内胎児発育遅延で、低出生体重児や未熟児となる確率が高くなっており、早産も多いという。こういった現実を、日本の人たちは知らない。政府や東電、安全保安院は、時間をかけて小出しに情報を公開していけば国民の気持ちが収まると考えているのかもしれないが、とんでもない。それは、放射能の怖さを知らなすぎる行為だ。今、現実に日本で汚染された地域に住んでいる人たちは放射線を浴び続けている。それは、チェルノブイリとまったく同じ状況だ。先日ようやく発表されたメルトダウンという最悪の事態についても、放出された核種が何で、どの時点で、どの程度放出したのか、汚染状況がまったく国民にオープンにされていない。測れないといっているが、そういうことを言っている事自体、本当に日本は不幸な国だと思ってしまう。きちんと数値を把握して汚染マップを細かく出さなければ、日本国民は納得しない。二度とチェルノブイリのようなことをしてはいけない。情報はきちんとディスクローズし、とりわけ子供と妊産婦を守らなければならない。 ――福島の子供たちは、皆疎開させるべきだ…。 菅谷 松本市では、市営住宅や教員住宅を利用して学童を持つ避難家族の受け入れを行っている。こういったことは、政府が考えなくてはならないことだ。先日発表された米国のデータをみると、福島県が広範に汚染されていて、それはかつて私が住んでいたチェルノブイリの汚染地の値よりも高いものだ。正確に内部被曝検査をするには高度な設備が必要で、大人数を一気に行うことはとても難しいが、せめて子供たちには長期にわたり定期的な健康診断を行う必要があるのではないか。 ――現在、汚染された地域にいる人たちが自分の身を守るには…。 菅谷 放射能災害から自分の身を守るには、とにかく逃げるしかない。本当に心配するのであれば海外へ、日本国内であれば西の方へ。それも難しければ、比較的汚染の少ない場所に住むしかない。放射性物質は大気中に浮遊し、風によって飛んでいく。そして、雨が降ることで地表に落ちる。チェルノブイリでは、原発から300キロ離れたところまで放射性物質が運ばれて汚染地になったところもある。日本でも、神奈川県のお茶の葉や長野市の汚泥からセシウムが検出されたことを考えると、放射性物質はあらゆるところに飛んでいると考えられて当然だ。そういった国民の不安を少しでも解消するために、地域毎にセンサーを設置して放射線量を明確にしたり、食品に安全表示を義務付けたりする必要がある。こういったことに対して、国はもっと迅速に動くべきなのに、まったく国民の気持ちが分かっていない。この政府の危機意識の無さは、経験が無いからなのだろうか。日本の政治を動かしている方々が党派を超えて、今の福島の状況をもっと自分のこととして捉え、「自分の子供だったら、自分の孫だったらどうするか」という思いで、すべてのことに、政治屋ではなく、真の政治家として真正面から取り組んでもらいたいと、つくづく思う。(了) 菅谷昭氏……01年にベラルーシ共和国より帰国し吉川英治文化賞受賞。04年3月14日に松本市長選で初当選。同28日に同市長に就任。 る。
フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング
2011年6月7日版の翻訳記事を転載します。 第一面 ドイツの単独行動に不機嫌なヨーロッパ フランスのエネルギー大臣がEU緊急会議を要請 F.A.Z. ベルリン/ブリュッセル6月6日 ドイツ連邦政府と連立議員団は2022年までに段階的に原子力エネルギーから撤退するための法案を出発させ、ノーベルト・レットゲン環境大臣(CDU)は、これによりここ数十年間続いた紛争は社会的コンセンサスのうちに収束したと述べた。しかしヨーロッパの他の国々ではこの月曜日、ドイツの「単独行動」は他の国々のエネルギー安定供給を危険に晒すものだと懸念する声が顕著になっている。フランスのベソン・エネルギー相は月曜日、EU加盟国エネルギー相の緊急会議を要請し、またテレビ番組において、EUエネルギー委員のエッティンガー氏に月曜日中にもその会議を準備するよう依頼するつもりだと述べた。彼によると、ドイツの原子力発電所の閉鎖は全ヨーロッパに影響を及ぼすにもかかわらず、ドイツ連邦政府はヨーロッパのパートナー国との意見調整を十分に行っていない。 一方エッテインガー委員のスポークスマンは月曜日にブリュッセルで、EU委員会はベソン氏からまだ何も正式な文書を受け取っていないが、いずれにしても、同氏が要請している特別会議を招集できるのは、彼ではなく評議会議長だけだと述べた。委員会の指摘するところによれば、ベソン氏はその前の金曜日にルクセンブルクのエネルギー閣僚会議でこの主題について意見を述べる機会が与えられていたのに、顔も出さなかったという。ライバッハ所在の欧州電気ガス規制局グループ(ERGEG: EU加盟諸国のエネルギー監督機関から成る)は、ドイツ政府が自分たちときちんと意見調整を行わなかったことについて、多くのヨーロッパの国々が機嫌を損ねていることを認めた。その説明によると、ドイツはこれまで需要ピーク時には多くのEU諸国のために電力供給の緩衝役を務めてきている。したがって、ドイツの原子炉が停止すれば、真夏や冬の寒冷期に停電が起きる可能性が増大するという。さらに、ドイツの脱原発は近隣国を巻き込んだ電力価格の上昇に繋がるとされる。脱原発の動きに関してはパイオニア的な役割を演じているオーストリアにおいてさえ、ドイツの政策転換が及ぼす将来の電力供給への影響ついて懸念を表明する声が高くなっている。 第二面 模範的と評価するのは緑の党のみ フランスはその需要のピーク時にドイツの電力に頼ることはもはやできないと覚悟を決めた。国内の政治に関してもサルコジ政権への圧力が高まっている。 ミカエラ・ヴィーゲル パリ6月6日 ドイツの脱原発に対してフランスは神経質な反応を示している。原子力エネルギーへのフランス人の無条件ともいえる支持が崩れ始めている一方で、仏政府は今回のドイツの単独行動を自分たちへの挑戦と見ている。エネルギー大臣のエリック・ベソン氏は月曜日、ドイツの決定がヨーロッパのエネルギー政策に及ぼす影響について論議するため、EUエネルギー閣僚緊急会議を開催するよう求めた。彼はLCIテレビに出演して、月曜日中にエネルギー担当のEU委員ギュンター・エッティンガー氏にその会議の準備を依頼するつもりだと語った。連邦政府がこれまでヨーロッパの他の国々と意見調整を図っていないことを彼は遺憾に思っている。ドイツ原発の閉鎖は欧州全体に影響を及ぼすことになるという。 フランスはこの夏のエネルギー供給が逼迫する可能性に備えている。同国のエネルギー業界はここ数年ずっと、外国への拡大のために発電所と送電網を近代化する業務を引き延ばし続けてきたため、過去において例えばブルターニュやプロヴァンスの一部の地域で幾度も電力不足に見舞われており、そのような逼迫時には電力をドイツから輸入していた。しかしドイツの原子力発電所が閉鎖されれば、今後はそれができなくなってしまう。昨年フランスがドイツから輸入した電力は16.1テラワットアワー、輸出電力量は9.4テラワットアワーだった。 さらにドイツの脱原発でフランスの国内政治にも圧力がかかっている。フランスでもこれまでに原子力エネルギーへの依存度を減らすべきとの声が多数派を占めるようになった。国内消費電力の4分の3は同国の58基の原子炉で賄われている。世論調査会社Ifopが行った最新のアンケート調査では、最近の福島原発事故を受けて、国民の62パーセントが今後25年ないし30年以内に脱原発を実現すべきと考えており、15%はそれよりも早期の脱原発を望んでいる。エネルギーの問題は2012年の春に行われる大統領選に向けての最重要テーマの一つとなるだろう。サルコジ大統領は「気候に優しく」かつ最高レベルの安全基準を満たす原子力産業の強化に肩入れする旨を明確にしている。彼は福島の災害ののち東京に駆けつけた最初の国家元首で、ドーヴィルでのG8サミットの機会を利用して原子力発電所の安全義務を訴えた。しかしサルコジ大統領はドイツ政策に追随する他のヨーロッパの国が出てくることを恐れている。彼が国営の原子力企業アレヴァのCEOアンヌ・ロベルジョンにドイツ政府の「単独決断」を公式に批判させたのもそのためである。ドイツはEUの温暖化防止目標の達成を妨害していると彼女は言う。「ドイツは原子力施設で発電している国々から電力を輸入しなければならなくなる。これがまともな論理と言えるだろうか。」とロヴェルジョン女史は「ジュルナル・デュ・ディマンシュ」で疑問を呈している。 それに対し環境政党の「ユーロップ・エコロジー・緑の党」はドイツの脱原発を模範と見なしており、先週末に同党は反原発派のセシル・デュフロを正式な党首に定めた(訳注: それまでは仮の全国書記)。デュフロ女史は原子力に関する国民投票を求めるとともに、脱原発を社会党との連立の条件にしたいと考えている。しかしヂュフロ女史は予備選には出ない。大統領選挙の候補者として有力視されているのは、前予審判事のエヴァ・ジョリとTV司会者の二コラ・ウロである。ウロ氏は自分の設立した基金のために国営電力企業EDFから財政援助を得てきたが、福島の事故を機に原子力エネルギーとは最終的に手を切ることに決めたという。 一方社会党内ではエネルギー政策に関する姿勢は分かれている。党首のマルティーヌ・オブリーは大統領選に向けた党計画の発表の席で、「個人的には」脱原発を自党のプログラムに組み込みたいと述べたが、それについてはこれまで異論が出ているという。社会党の予備選に出馬する前党首フランソワ・オランドは、フランスのエネルギー政策の独立性を保障するものとして原子力プログラム擁護の立場をとっている。彼は「ユーロップ・エコロジー・緑の党」から新戦略を押し付けられることを拒否した。リオネル・ジョスパン首相(1998-2002)の下での最近の左派政府は、ベルリンで社会党・緑の党の連立内閣が脱原発を協議していたときでさえ、原子力エネルギーに関するコンセンサスを議論のテーマとして取り上げたことはなかった。緑の党の党首デュフロは、現左派陣営の力関係が自党に有利に作用して脱原発を貫くことができるのではないかと見ている。「我々の強みは、支持者がどういう背景を持つかではなく、彼らが何を目指すかを重視している点にある。」 経済欄 エネルギー機関がドイツの単独行動を批判 IEAは他の欧州諸国への影響について警告/ガスの重要な役割を予想 ロンドン6月6日 ベルリンの連邦内閣はこの月曜日に急速な原発の実施に踏み切ったが、国際エネルギー機関(IEA)はドイツの単独行動による全ヨーロッパへの影響について警鐘を鳴らしている。「一つの国がヨーロッパ全体のエネルギー保障を妨害する恐れがある。」IEAの田中伸男事務局長はロンドンで記者を前にこう語った。彼の主張によれば、発電のために今後も原子力を使用するか否かは、個々の加盟国のレベルではなくEUの枠組みの中で決定されるべきである。 先進工業国の中央研究機関であるIEAはまた、ヨーロッパの経済大国が原子力に背を向ければ、EUの温暖化防止目標の達成が困難になると懸念している。原子力を放棄するとなれば、電力供給に支障が生じることのないようガス、石炭等の化石エネルギー源の使用量が増えることが予想される。 福島原発の災害の後でも、自ら日本人である田中氏は、二酸化炭素の発生を最低レベルに抑えることができ従って大気温暖化防止に寄与する原子力エネルギーは不可欠であると考えている。「気候に害を与えない経済成長を達成する上で、原子力は今後も重要な役割を担うことになる」と田中氏は言う。しかしIEAは同時に何年も前から、再生エネルギーへの国家支援、石油・ガスへの多額の助成金の廃止、エネルギー有効使用等の必要性を説いてきた。 原子力を使わないとなれば、ドイツは当面ガスの輸入量を増やさなければならないはずだとIEAのチーフ・エコノミストのファティ・ビロル氏は言う。「われわれは今、ガスの黄金期を迎えようとしているのか。」これはグローバルなガス市場を目指すエネルギー科学者たちが月曜日に発表した分析結果である。新しい大きなガス田が開発されているため、将来入手できるガスの量は石油よりも多く、燃やしても石油や石炭に比べて気候を害する度合いが少ない。何よりも今後の数十年間にさらに大量のエネルギー消費が見込まれる中国やインドなどの新興国では、これまでに比べて格段にガスへの依存度が増すだろう。 IEAの見積もりでは2035年までにガスの使用量は50%以上増加すると予想され、これはグローバルなエネルギー消費量の4分の1強に当たる。追加需要の約40%は従来とは異なるガス埋蔵源の開発強化によりカバーできるだろう。特に米国では既に今日の時点で、粘板岩の塊に含まれるガスの採掘がエネルギー市場に革命をもたらしつつある。 しかし研究者たちは、これまでと異なる類のガス採掘において環境保護が十分考慮されてない点を問題視している。「エネルギー産業がガスの黄金期の到来を待ち望むのであれば、彼らは同時に黄金の安全基準を設けなければならない」とビロル氏。でなければ、新規のガス埋蔵地の開発は社会から受け入れられないであろう。技術面で費用のかかる採掘方法は議論の余地があるが、その理由は、粘板岩中のガスを採掘する場合に水と化学物質の大量の混合物を用いて岩層を爆破しなければならないためである。ヨーロッパにおいては、特にポーランドでこれまでにない新しいタイプのガス埋蔵地が存在すると推定されている。
ドイツの脱原発決断について当地ドイツ、と隣地フランスの新聞記事の翻訳が手に入りました。転載します
ドイツ Die Zeit(ディ・ツァイト)紙 2011年6月6日 エネルギー変換: 内閣は2022年以前の脱原発を決定。 原子力発電所の閉鎖と再生エネルギーの支援 内閣は脱原発を決定、既に7月の時点でそのための法が発効する。 連邦内閣はキリスト教民主連合(CDU)/キリスト教社会連合(CSU)/自由民主党(FDP)連立内閣エネルギー変換のための法案を可決した。その核となるのは原子力法で、2021/22年までにすべての原子力発電所が段階的に停止されることを確定している。それに代わって、再生可能エネルギーの大々的な振興を図る。 さらにそれに絡んで、送電網の迅速な整備が必要となる。中でも、北部で発電される風力による電力を南ドイツに送るという課題に取り組まねばならない。南部では最終的な原発までの10年間に原発が閉鎖されることになっている。加えて、市民にもエネルギー節約を促し、そのために建築物省エネ対策を支援していく。 即座に停止される原発に続き、その後も運転を続ける9基の原発は計画に従って下記の通りに閉鎖される。 2015年 グラフェンラインフェルド(バイエルン) 2017年 グンドゥレミンゲンB(バイエルン) 2019年 フィリップスブルクII(バーデン・ヴュルテンベルク) 2021年 グローンデ(ニーダーザクセン)、ブロクドルフ(シュレスヴィヒ・ホ ルシュタイン)、グンドレミンゲンC(バイエルン) 最後の原発として、2022年にイザール(バイエルン)、ネッカーヴェストハイム(バーデン・ヴュルテンベルク)、エムズラント(ニーダーザクセン)が停止される。 連邦政府のノヴェルト・レットゲン環境大臣によれば、加速化された脱原発はドイツの経済・社会発展のマイルストーンであり、初めて包括的なエネルギー構想が打ち出されたことになる。CDU所属の同大臣は内閣決定の後、今回の法改正に付いて「我々は社会的なパイオニア・プロジェクトを開始する」と語った。 連邦政府のペーター・ラムザウアー建設大臣は、脱原発を受けて今までより格段にエネルギー節約が必要になると述べた。同氏の説明によると、「一次エネルギーの70%は交通と建築物の分野で消費される。」従ってそこでのエネルギー節約の可能性も非常に大きく、しかもそれによって地球温暖化の犯人である二酸化炭素の排出を抑えることが可能だという。そのため2012年からは、省エネ型建築物への改良を奨励する目的で15億ユーロを準備しているとラムザウアー氏は付け加えた。 一方社会民主党(SPD)は新しい原子力法に賛成する用意がある旨を示している。同党の議員団長トーマス・オッペルマンはARD(訳注:ドイツの放送局)で、「原子力法が迅速かつ元の戻ることの無い脱原発に繋がるのであれば、それに同意してもよい」と語った。そのための条件として同党が非常に重視しているのは、2011年から2022年にかけて原発を「まとめて閉鎖」するのではなく、停止が段階的に行われることである。また、脱原発は再生エネルギーの速やかな開発と軌を合わせて進められなければならない。 午後には院内会派は特別会議でエネルギー変換に向けての政府計画に取り組んだ。今日から火曜日にかけて、連邦政府と州政府の経済大臣がシュレスヴィヒ・ホルシュタイン州のプレンでエネルギー変換について会談することになっている。送電網拡張整備の管轄官庁の新設に関して、連邦政府と州政府との間の対立が予想される。連邦政府は拡張事業をより迅速に進めるため、より大きな権限を持つことを望んでいる。 エネルギー会社は段階的閉鎖に懐疑的 エネルギー会社は現段階では、残る9基の原発について計画されている段階的な閉鎖が法的に問題ないかどうか疑わしいと見ている。運転期間が短縮されることにより、本来予定していた電力量の生産はほとんど不可能となるという声が、エネルギー会社の諸サークルから聞こえてくる。ここで問題になるのは、許可されている電力量を全原発においてそれぞれの停止時期までに発電できるかどうかという点である。 E.on、RWE、EnBW、ヴァッテンファルの公式な見解は今日の閣議が終るのを待って発表されるが、契約によってこれまで保証されていた電力量を生産できないとなれば、彼らが多額の補償を要求する可能性があり、既に法律家によって財産損害の検査が行われている。政府側は脱原発のやり方・方法は合法的と見なしている。 エネルギー会社のサークルからの批判の対象は、連邦州への圧力を意図してアンゲラ・メルケル首相が発表した2022年までの段階的閉鎖計画である。間もなく停止される8基の原発が発電することになっていた電力量は、残る9基の原子炉に転移させ、そこで生産してよいはずだというのである。 仮に停止の時期まで原子炉が望み通りの電力を生産できるとしても、それらはいずれ閉鎖されねばならず、これは財産権の侵害と見なされうる。政府の見解は電力会社のそれとは異なり、2002年の原子力法で確定されたすべての電力量は、9基の原子炉に移される分も含めて、閉鎖時期までに消費されると予測している。 観測筋によると、政府のエネルギー変換策は電力消費者にとっての価格高騰を意味する。消費者保護団体はこのような結果を和らげるための方策を求めている。「甚大な価格高騰が起きた場合、特に低所得者層が大きな影響を被る。この点について立法府は再調整すべきだ」と消費者センター連邦同盟のエネルギー専門家ホルガー・クラヴィンケル氏はハンデルスブラット紙(訳注:ドイツ日刊経済新聞)に語った。彼が考えているのは特別な電力社会税などではなく、それよりも、例えばハーツVI(訳注:ドイツ政府の生活保護プログラム)の支給額を増やすことを勧めている。 フランス ラ・リベラシオン 2011年6月6日 ベルリン(AFP)-ドイツ政府は月曜日、同国を核に背を向ける最初の経済大国とする法案を可決した。これは経済大臣フィリップ・レスラー氏から発表された。 同大臣は記者会見の席で、ドイツのすべての原子力発電所は2022年までに閉鎖されると述べた。 アンゲラ・メルケル首相のチームは特別閣僚会議でドイツが前例の無い挑戦に立ち向かうための戦略を定めた。その原則は既に先週の時点で与党連立内閣のメンバーにより策定されていた。 17基の原発中8基はただちに停止されるが、他の9基は2015年から2022年までかけて段階的に閉鎖され、それによってドイツは総発電量の22%を失うことになる。その分を補うためにドイツ政府は今後具体的には北海沿岸の風力発電装置の増設とガス・石炭発電の建設に注力し、エネルギーの高効率化を促進する。 ベルリンの政府は原子力エネルギーを放棄するための費用をこれまで慎重に計算しているが、専門家は900億ユーロから2000億ユーロの間と見積もっており、納税者と電力消費者と電力生産者が共同でこの額を負担することになる。 原子力エネルギーを放棄することにより、ドイツは短期的には工業の競争力が損なわれることを覚悟している一方で、中期的観点に立てば「緑」の技術の市場開拓において先駆者となれると考えている。 しかしこの決定は、より多くの公害をもたらす発電所に頼らざるを得ないことから、各国の温室効果ガスを削減するという目標を危険にさらすパラドックスを伴う。
ノンブルに齟齬があります。今回を「4」と修正させていただきます。原情報のチェックをいたします。欠番があるようです。
インターナショナルヘラルドトリビュー記事翻訳NO.4 2011年5月18日水曜日一面に掲載 隠され無視された原子力の危険 過去の訴訟から見える日本の原子炉の地震の脆弱性 Norimitsu OnishiとMartin Fackler 記者 弁護士たちが日本の原発に対して指摘してきたのは、近年の地震に関する研究が示唆したように大地震には耐えうるものではないというものであった。 もし大地震に襲われたなら電源喪失がおき、非常用電源も機能せず、そのため冷却機能に支障をきたすと予測してきた。その結果原子炉はメルトダウンとなり空気中や海に放射能を撒き散らすことになると。そして何万人という人々が避難を免れないことになる。 その予測はぞっとするほど不気味なものであったが、訴訟そのものは10年も前に日本でもっとも危険とされた浜岡原発に対するものであったものの、今回の福島第一原発の一連の出来事を指摘したものとなった。 この訴訟は複数の現実離れした法律上の争いの一つと扱われたもので、結果として敗訴したものの長期にわたり電力会社、規制当局、裁判所に対して、世界でも類のないほど地下活動が活発な日本においての原発の安全性を改善することを強いるものであった。 一連の訴訟から見えてくるのは、改善に必要な費用を出し惜しみつつ運用をつづけることで地震の危険性を甘くみてきたという電力会社の不安をしょうじさせるような思考傾向だ。 そしてほぼ全ての訴訟は不成功に終わり、それが結果として日本においての原子力の支援という秘密の合意の文化が出来あがったのだ。 その中に入っていたのが日本政府、原子力規制当局、電力会社である。 かいどう ゆういち氏は浜岡の訴訟の原告であり敗訴が決定したのは2007年の地方裁判所での採決であるが、氏によればもしそれが勝訴していれば、 日本の原発においてより強固な地震や津波また非常用電源基準等の対策がとられたことになったと述べた。 "この事故は防ぐことができた“と日本弁護士会の事務局長であるかいどう氏は福島第一についてこのように述べた。 中部電力は管首相の比類の無い要請を受け今週末稼動中であった2機の原子炉を一時的に停止した。 会社によれば数年間をかけて地震および津波対策を強化した後操業再開を予定している。 日本においては全ての原発は海岸沿いに建設されていてそのため地震や津波にたいして脆弱である。 福島においての大災害は津波によるものとされているが、今になって明らかになってきた証拠から、津波以前に原子炉の重要機器類が地震によって破損したのではないかと言われている。 チェルノブイリ以来最悪の大惨事となった福島第一であるがこれが引き金になり、東京から南西185kmの距離にある御前崎にある浜岡原発停止のつながった。 しかし総理の決断はこの大惨事からだけではなく、長年にわたり少数派として政府や運用会社を訴え続けてきた市民、弁護士や科学者の力に負うものが大である。 しかしこれらの人々は普通の市民からは無視されつづけてきた。 反原発をとなえることで近隣の住民からは白い目でみられ、会社員は運動を制限され、そして日本の青年たちは反原発運動には消極的ということで 運動参加者の数は増えることはなかった。 しかし3・11以後とくに浜岡原発停止後長年の活動家たちは真実を語り続けたということで注目を浴びるようになり、その反面原子力推進派は地に落ちた。 金曜日中部電力は午前10時から原子炉停止を開始したのを見守るのが、90歳になるナガノエイイチ氏と78歳のシラトリヨシカ氏の二人である。シラトリ氏は訴訟のリーダーとしてそしてナガノ氏があとに続いて海岸を強い風をうけながら浜岡の"進入禁止“のところまで歩みを進めた。 "もちろん停止は喜ばしい”とナガノ氏は述べた。"しかしもう少しやれていたならば、もっと声を大にしていれば福島第一の犠牲なくして停止に追い込むことが出来たのでは“とも述べた。 無視された警告 1976年資源不足に悩む日本はオイルショック後、エネルギー確保のための独自の政策として原子力に注力を注いできたもので、ヨーッロパや米国においての危険性の高まりに対してもその姿勢はかわることはなかった。 その年に浜岡の原子炉一号機が操業を開始し、第二号機の建設が始まった。 神戸大学名誉教授である地震学者のイシバシカツヒコ氏は、二つの地殻構造プレートにはさまれた地震発生地域の真上に浜岡があることを研究として発表した。それ以後もイシバシ氏の発言を裏ずける研究がおこなわれ、昨年には政府の専門家によるM8級の地震発生率はほぼ90%が30年以内におきるとした。 1995年の神戸地震の後この地域に住む住民は組織を立ち上げ中部電力にたいして意思を表明してきた。 2003年には訴訟を起こし原子炉停止を要求したがそのころにはすでに原子炉の数は4機に増加していた、その中で地震対策基準の甘さに言及した。 2007年地方裁判所の裁定により敗訴でその訴えはしりぞけられた。 その裁定の根拠となったのが、東京大学教授であり 原子力の推進者かつ2010年から原子力安全委員会(日本においての規制当局の一つである)の委員長であるマダラメハルキ氏の証言によるものが大きい。 その証言の中でかれは二つの非常用電源が同時に損失は考えられず、そのような恐れを抱くことは"そんなことではだれも何も作ることは出来ない“と言った。 福島の後国会で問われ、"原子力を推進してきたものとして個人的に謝罪をしたい”と述べた。 原子力の黎明期日本政府および電力会社は原発は活断層の上には安全上の配慮として建設しないと確約していたと地震学者のイシバシ氏は述べた。しかし、 地震学が進むにつれ徐々に活断層の場所も明らかになってきたため、政府及び当事者たちも批判に耳をかさないわけにはいかなくなったのである。 また彼は日本列島においては原発は建ててはいけないものとも発言している。 地震学が進むにつれ各地で訴訟の数も増加してきた。原告が勝訴したのはわずか2件のみであるがそれもその後の高裁での判決でくつがえされたのだ。 1970代より14もの訴訟が政府および電力会社にだされたもので対象は3・11以前の18の原発の54機であった。 その二つのうちの一つである石川県のシカ原発にたいする訴訟により1999年に新しい原子炉を停止するというものであった。 その原子炉は断層の近くにあり耐震基準も最新のものではないとされた。 地方裁判所による裁定で2006年停止が決定されたのは、北陸電力がその新しい原子炉が基準をみたしているという証拠が提出できなかったことからであった。 その主席判事であったイドケンイチ氏は今は弁護士であるが、原告が原発を危険であると証明することは一般的には難しいと述べた。 それ以上に原発にかんする技術的な複雑性によるものが多いため、裁定はどうしても国の原子力推進戦略にそう裁定がおこなわれてしまうとも言った。 "思うに安全策がこうじられる道が生じることは否定しないものの、裁判官は政府に刃向かうような裁定は犯したくなく、少数の学者側にたつことはめったにない“という。 この発言を裏づけるのが2009年高裁での裁定であって北陸電力はその後も操業を続けることを許された。その決定において原発は安全だとしていて2006年の新基準も満たしているとした。
先の週末を使って韓国小旅行をした。以前訪れたところの再訪。浮石j寺、鳳停寺、屏山書院、陶山書院、河回マウルなどなど。河回マウルはたしか4,5回目である。先回、数年前の訪問であまりの商業化にげんなりしたのだが今回は様相が一変していた。「世界遺産」登録のご利益、離れた地点に駐車場、シャトルバスの拠点と飲食の出来るエリアを設け、車を捨てて徒歩かバスで行く、という形である。以前の門前の切符売り場、と物売りの出店はきれいになくなっていた。村もきわめて手入れがいい。多遠い昔に訪れたときはほとんど観光客は居らず、研究者、建築家がたまに訪れるだけの普通の村であった。大きな変化を時に応じてみてきたことになる。
どこも良かったが特に浮石寺、屏山書院は第一級である。 今回の宿舎の内二泊が集落が保存指定されたエリアのオンドル部屋であったことも楽しかった。床はほのかに暖かく、郭公の声で起床、緑風を感じ、インターネットがない環境、熟睡した。。 ソウルは一段と洗練の度を増した。評判のチョンゲチョン=清渓川を食後に散策、梨花女子大のドミニクペローを確認。名門女子大の理事者ががこうした学生におもねた臭いが全くない建築の建設を承認したことに、わが国の最近の大学建築の幼稚な姿を思いながら感じ入った。 ソウルで最も感心したのが交通インフラの大胆な改革だった。市街地の街路のセンターライン側一レーンがバス専用とされブルーのラインで区画されている。そして各所に目印としてであろう高木が立ちならぶ比較的大きなバス停、(バスが数台並んで停車でき、場所により追い越し車線まで用意されている)が設置されているのだ。まるでヨーロッパ諸国で見る都市のLRT軌道のようにも見える。路線バスは混雑する一般車のレーンの影響を受けずきわめてスムーズに運行されていた。大昔、はじめてソウルを訪れた折のバスのけんか腰の運行を思うとここまで来たか、と思った。そう、こうした整備が出来たのであればこれはもうすぐにでもこのレーンをトラムの軌道に置き換えることはなんでもないだろう。ひょっとすると市の当事者は既にそれを念頭に置いての計画だあったのかもしてない。そうであるとすれば周到できわめて賢い。 チョンゲチョン、ドミニクペロー、バス路線、どれをとっても勇気を感じるプロジェクトである。 翻り何を行うにもやる気をそがれることの多く、規制と縦割りで何も出来ないこの国である。閉塞と徒労を何とかしなくてははならない。大きく変えることがなければならない。「大事件」をきっかけに様々なことを変えたい。 2011年5月13日インターナショナルヘラルドトリビューン記事翻訳 ベルリン発 原子力を過去にするドイツ 記者Judy Dempsey メルケル命名の委員会は2021年までに代替案を導入する 2021年までにドイツにある全ての原発を閉鎖することでその他のエネルギーに置き変えることが福島第一原発の大惨事後メルケル首相によって設立された特別委員会で一致された。 この勧告はまだ公にされてはいないものの、今週末に予定されているベルリンでの非公開の専門家委員会にかけられる予定である。 首相によるとドイツは原発から脱却するものの、代替エネルギーが国の需要をまかなえるまでに“つなぎの技術”といわれるものがどのくらいの期間必要なのか考えるとした。 原子力利用のドイツでのエネルギー供給は22.6%、これに続いて42%以上が石炭、13.6%の天然ガス、16.5%が風力、太陽光利用の再生可能エネルギーで残りがその他とエネルギー省が発表している。 日本では管首相が火曜日に発表したのは、14機の新たな原発建設計画を反故にし、政府がエネルギーに関する方針を再評価するとした。日本は現在エネルギー供給の30%を原発に依存している。 ドイツの原子力からの脱却については環境保護団体やヨーロッパのその他の国々からも注目を集めるもので特に中央および東ヨーロッパにおいては原子力使用の発電の拡大が計画されている。 “現在原発保有国の間では日本での惨事のあと様々な異なる反応が出てきている”と語るのは、OECD一部である原子力エンルギー機構の広報官Serge Gas氏である。 ロシア、英国、フランスとポーランドは今の原子力政策をおおむね維持するもされるが、イタリーとスイスはすでの新たな原子炉の開発は停止した。 福島の事故の後最も大きな反応を示したのがドイツで、反原発の思いは政治の領域を超えて大きな動きになった。 World Nuclear Association(世界原子力協会)、産業界の団体によれば世界31カ国で440もの原子力発電所が操業している。これが発電量としては世界の電気の15%を占めるものである。 この団体によると15カ国で60以上の発電所が建設中であり主にロシア、中国、韓国など。 ドイツの大手エネルギー会社であるRWEとE.ON.は早急な原発からの脱却は電力不足及やドイツが諸外国から電力を輸入国になるなど大きく経済に影響をあたえると警告した。 しかし、メルケル首相が任命した倫理委員会は脱原発で被害をこうむることがあっても、エネルギー使用を抑制し代替エネルギーによる利益の方がよいとしている。 この委員会は保守派の一人で前ドイツ環境大臣・国連の環境プログラムの前常任理事を務めたKlaus Topferとドイツ研究財団の所長であるMatthias Kleinerが率いるものである。 委員会の28ページの報告書によれば原発からの脱却で経済発展を促進しつつ、“膨大な技術的、経済的、社会的な機会の創設が実現でき、ドイツを環境を破壊することのない資源利用の持続を推進する国として製品やサービスの輸出国となる。 そして脱原発によって力強いドイツ経済の構築の機会となれることを示していく”とあったとインタナショナルヘラルドトリビューンは述べた。 しかし経済的には有利性を説くもののドイツにある17の原発を安全のため閉鎖すべきと強調している。“原則的には危険を回避するために必要なのが撤退である”と。 その他にも委員会はドイツが電気の割り当て、諸外国の原発から電気の買電、または二酸化炭素の排出増加も避けなければといっている。“気候変動に関して倫理的な責任があるから”としている。 委員会は急激に代替エネルギーの開発促進は難しいとしつつも、その代わりとしてエネルギー使用を最高60%削減を目指すことや石炭使用の発電所をより クリーンな技術で行うなどすることを提言している。 メルケル首相は前政権の2022年までに既存の原発を閉鎖するという決定をひるがえし、新しい原子炉に関してはその使用を2030年まで認めるとしたのがわずか一年前のことであった。 しかし今年3月には早くもその決定を変えたのは福島第一原発の被害の大きさが明らかになったからだ。 そして首相として7の原子力発電所を一時的に閉鎖、新たな原子炉の建設停止を命令し安全、安心に関する取り組みの見直しや倫理委員会の設立を行った。 メルケル首相による決意の発表が行われたのはドイツ南部での重要な地方選挙において緑の党が政府保守派に対して圧勝したわずか一日前のことであった。
福島のことは国内のメディアの報道に一定の制御がかかっていることは十分考えられる。海外での反応を注視したい。以下は野沢富士子の手によるヘラルドトリビューン紙に掲載された福島関連記事の翻訳である。記事が掲載されるごとに作業をしている。幾分遅れがちにはなるが本ブログに順次転載させていただく。
2011年5月9日インターナショナルヘラルドトリビューン記事翻訳 ニューヨーク発信 記者名 Tom Zellelr Jr. 評論家によると米国原子力規制者は原子炉の安全性に関してはさいころを転がしているようなもの。 2007年秋イリノイ州にあるByron 原子力発電所において、ひどく錆付いたスチールパイプの掃除は作業員が金属ブラシで行っていた―このパイプは非常用装置に対して水を循環させるための一連のもの―しかし予期せぬことが起きた:それはブラシが配管を突き破ったのだ。 この漏水により2機の原子炉は修理のため12日間停止された。 原発の所有者であるExelonは長い間沢山のパイプが腐食によってその肉厚が薄くなったことを知っていた。しかし修理せずにパイプの安全に関する判断としては最低の肉厚幅を再三低減してきた。 そしてパイプ破損後Exelonは破損パイプの肉厚は0.76mmでそれは新品パイプのわずか10分のⅠ以下であっても十分だと述べた。 放射線を含む物質が漏れた形跡はないものの、専門家によれば原子炉事故によりある程度の本数のパイプが破裂することがあればそれは原子力大惨事になるとされ、その上工場はシカゴの西からわずか161kmしか離れていない場所の設置されている。 Exelon社の危険な決定がなされたのは米国NRC(Nuclear Regulatory Commission)アメリカ原子力規制委員会の現場調査員の目の前でであった。 パイプに漏水が起きた後も8年間に渡りNRCの査察官がこの件に関して調査結果を文章にしてこなかった、そして会社が満足できる基準値を下げ続けてきたことにも注意をはらわなかったとNRCの検査官の高官がその後の調査でそのように述べた。 2 では会社の処罰はどうなのか。 それは2件の低レヴェルの違反によるけん責-NRCにとっては通常の気乗りのしない反応であるとByron原子力発電所の調査を後日行った前調査員のG.A.Mulley Jrは語った。 彼によれば会社の言い分はいつも“なにも起きなかった”で済まされるが、運にもよるが遅かれ早かれいつか大層な事に直面することになると言った。 評論家はNRCを悪気はないものの力不足の機関であるとし、かつまた原子力産業界と近しい関係であり見張り役であることを怠ってきたとしている。今ではこの懸念は福島第一の問題により緊急性が増大し、多くの専門家が自然災害に匹敵するものとして政府による手ぬるい規制があると言及している。 NRCは原子力の黎明期と比べ今ではより安全な操業がおこなわれているとしているものの、原子炉停止しばしば起こり会社が期間の提案する活動を実践するに当たり金と時間がかかりすぎる苦情をのべると、安全性に係わる専門家、連邦議会論者やNRC内部の監視者でさえ優柔不断の傾向ありと指摘する。 NRCの高官が職を辞した後で原子力産業から利益を得ていることも理由であるといわれ、過去何年にもわたり数十人もの人々が原子力産業やロビー活動を専門とする会社に職を得ている。 今日、アメリカにある104機の老巧化した原子炉は当初の40年の許可であったものを20年の延長使用をNRCに要請しているが、原子炉分解点検で緊急にシステムを見直すことを主張しているものたちもいる。 NRCの欠点で腹立たしいのには理由がある、それは1970年半ばにアメリカ議会が原子力エネルギー促進とその安全性を規制する役割を政府から切り離して行うことで前身のAEC(Atomic Energy Commission)で蔓延していた争いに解決をもたらそうとしたからである。 Peter A Bradford、かれは前NRCの長官で現在はバーモント法律学院で教鞭をとっているが、“なにも変わっていないと”述べた。その上、 “NRCはAECの規制に携わるものや規則や規約をそのまま導入した”とものべている。 彼いわく、原子力産業界は2005年のGregory B. Jaczkoの就任までは毎年影に日向に長官の指名を支援してきたと。 Jaczkoは2009年にオバマ大統領により任命されたが就任前はEdward J.Markey,マサセッチュセッツ州民主党の原子力に懐疑的な議員や現職の上院与党のリーダーでネバタ州選出の民主党上院議員のHarry Reidで同州での原子力廃棄物の保管に反対した元で働いた経験つんだ人間である。 Jaczko いわく、安全性に係わる問題にはより迅速に対処する必要があるといっている。しかしその反面自分を守ることもわすれなかった。“私が強く思うことは安全性に関して正しい決定をくだすべきは一人一人の規制当事者の判断によるものである”と語ったのだ。 David Lochbaum、彼は前NRCの原子炉技術の指導者でありしばしばNRCを多くの場合さいころをころがしているだけの機関と批評しているとし、“Byronと福島の違いは運だけ”と発言した。ヴァーモント州のVernonには39年前建設のVermonnto Yankee原子力発電所がある。 ここにあるのは 日本で問題になっているのと同じ設計の原子炉がコネチカット川の近くに建ち2007年には冷却塔の一部が崩壊する痛手をこうむった。 2010年一月には工場の操業を司るEntergy社は地中に埋めたパイプから漏れ出したとみられる放射線トリチウムによる付近の土壌汚染と地下水の汚濁を検知した。 その数ヶ月前には州政府の政治家たちにそのような配管は存在しないと述べたばかりというのにである。 この問題を重要視したヴァーモント州上院議員たちは2012年3月以降の同工場の操業を停止すべく決断した、これは州の2006年の法発動においての発電を継続することに反対する決定であった。しかし、日本において地震、つ波のおきる一日まえにNRCはそのほかの62機の原発とともに期限延長の許可を出したのだった。 今アメリカでこれが訴訟問題に発展している。 Lochbaum氏は“なぜあのようなところが期限延長になるのか”と言った。“なぜなら頼まれたからに違いない。NRCの興味は原子炉の操業を維持することしかないからだ”とも言っている。 若干の追加作業を命じたものを除くと、NRCは2000年に延長許可を与えて以来全てに対して容認してきた。 また問題に対処するうえで迅速性にかけることもNRCがかかえる、また別の問題である。 1975年のアラバマ州のAtensにあるBrown Ferry 発電所の火事で一つの原子炉の重要な冷却装置の電気配線の故障が思い起こされる。 この事件でNRCは危機感をおぼえ1980年には新しい火事に対処すべき規制を発動した。 しかしその後30年間、2度の内部調査によると防火のための欠陥および有効性にかける素材を認可した経緯もあるという。 これが示唆しているのは、材料が認可されたといえど初め言われたような機能のないものが山積しているという証拠も多数存在するのだ。 初期のころのものでThermolagというものがあるとMulley氏は言うのだがこの材料はわけの分からない研究所で不正にテストされたものであった。 “NRCのどの検査官も研究所やテスト結果を調べるようなことはしてこなかった”とこの件で調査依頼をうけた彼は述べた。 昨年NRCは355ページの報告書をつくりこの中で耐火問題は解決済と書いているが、多くの原発では規制に対して準拠しているとは言い切れない。 NRCは違反にたいして目をつぶることしか出来ないようだとLochbaum氏は述べる。 彼は今Union of Concerned Scientists (感心ある科学者団体と訳してよいのだろうと思うが)の原子力安全プロジェクトのリーダーをつとめている。“そうでもしなければアメリカにあるほぼ全ての原子炉を停止しなければならなくなるから”とも発言した。 耐火素材の完全な失敗について問われたJaczko氏は、NRCは安全性にかかわるものはより迅速に規制すべきと述べた。そして“私はかねてからよりよいタイミングで規制をかけるべきと伝えてきた”とも。 しかし問題は複雑である。 “非常に複雑、技術的な問題が介在していて、最終的にはいくつかのケースにおいては大掛かりな工場改修が必要になるだろうと”語った。
建築を作る時、様々な協働がある。協働者が有能であり任務に忠実であることが仕事を価値あるものとする必須の条件であることは仕事の中で私が痛感することだ。改めて気付くくことだがその中でクライアントはまず最初の極めて主要な協働者である。不遜に聞こえればお許しいただきたいが、極論すれば建築の「質」を問うこととはクライアントの質がまず問われるとであるともいえそうである。
今竣工を迎えつつある「週末住宅」がある。ここでの試みはそうした協働が面白く展開した結果であると今、思う。ここでのクライアントとの協働はもちろん極めて快適であった。そしてそれにより今回、設計側の協働にも新たな試みを許されることになった。構造の稲山との協働はいつものことであるが、今回はインフィルを小泉誠に委ねることができた。結果は面白く相応の成果を得た。小泉とは立川市役所での協働ですでに成果を得ている。立川で試みたJパネルの家具がその成果である。 そしてここでは私の知るいくつかのドイツ、オーストリーなどパッシブハウス先進国の要素技術的工夫をも採用している。それらはこの建築が成立する主要はファクターでもあった。こうした要素技術の登場もある種、協働といえるのかと思う。これらの工夫を開発展開した一人一人の顔を思うからだ。 建築は「複雑な全体」である。設計の前提は刻々と変わる。それは時代の要請でありわれわれがそれに答えることはわれわれの任務でもある。今回「週末住宅」で試みた設計側の協働は私のチームが今、組み立てることができる「最善」とも思えるものであった。クライアントという協働者にこの試みが了解していただけたことが何より幸運であった。成果は自ずから明らかなはずである。 それにつけてもこれからの建築のために、様々な技術的工夫やその開発が課題であり、その推進が求められる。「これからはこうした建築が求められる」という方向が合意される中でそれを実現するための技術開発が誘導されなければならない。すでに今ある、既存技術はいつも必ず何らかの意味で古い技術である。それが「認定」され、その採用が「強制」され「条件」にされるなかでは次世代のための試みは制限され抑制されることになる。法令もそうした装置の一つである。 先の愛農の減築による耐震化も制度をつかさどる監督者にそれを納得させることにいくばくかの労力をようした。耐震化は制度的にはブレースによるものだけが認定されているのだ。そうであるから学校建築を筆頭にわれわれが見る悪しき景観があちこちに現出しているのだろう。 エンジニアが専門家としてのフィールドに責任を持って参加し、様々な視野でそれに関わり、予断と思考停止を排除し原点から思考することこそが自らが楽しみと責任をを持って任務を遂行する条件である。今回、「福島」を引き起こした理由にこうした不自由な社会がある。根底から考え直さねばならない。
今月号の「新建築」に愛農の耐震改修、「減築」が掲載されている。既存の再生事例が大小いくつか纏められ小さな特集を構成、その中に記事はある。私は「新」建築というメディアがこの事例を記事にすることはまったく予想していなかった。記事にしたいというオファーがあったときは作品としての扱いではなく小さなニュースとしての扱いであろうとも思った。時代が大きく変わったのだろう。結果、こうした事例にフォーカスが当たることになる。愛農での試み、その成果は手前味噌ではあるが予想外に大きいのかもしれないと改めて思う。外断熱とPV動力による屋根集熱ソーラーシステムはエネルギー消費なしで室内気候を極めて快適なレベルを維持してもいるのだ。新建築の記事からすべてを知ることは難しいかもしれないがこれを入り口にこの試みの意義を多くの人に知ってほしいと思う。
暗雲がたちこめている。少しも晴れぬ。新聞もTVも信用がならない。このうっとうしい気分は数年、いや数十年晴れぬのではないか、と思う、そのことによる二重のうっとうしさだ。様々な情報が飛び交う。それを風評というが風評を云々するのであれば納得できる情報を発信するしかない。メディアはそれができない。メディア自身がこの状況が想定外であり正確に対応していないからだ。われわれは風評の中から真を探すしかない。「自らの判断で沖縄に逃げた人のみが正しい選択であった」、という事態が今後発生することがまったく無い、そうした状況ではない。電池を余分に買った、ミネラルウオーターを箱買いした、そうした人をあれこれ言う資格はだれにも無い。
「原子力安全保安院」という組織は本来危険を伴うものであるからこそ「保安」が必要であるそのため十全の想定を用意し時により警告を発することを任務とする組織のはずだ。その組織自身が「原子力は安全である」という「信仰」の中にどっぷり漬かっていたのだ。「原子力安全神話」は東電自らが説き東電自らがそのドグマにはまり今回の事態を招いたということに他ならない。永劫に発熱を続け電力を発生する原子力は東電にとりこれほどうまいものは無い。これが安全であることを様々な警告を封じ、根拠無く自らそれを信じたのだ。彼らはその魔力の下で魔力の言うままに「スイッチ」「深夜電力利用」「オール電化」が喧伝し続けた。 原子力発電はここで必ず廃止させなければならない。東電の解体はもちろんである。水力、バイオマス、太陽光など再生可能エネルギーで20パーセントほどをまかなうドイツ、それ以上をまかなう諸国に遅ればせながら学ぶべきだろう。工夫はいくらでもあるはずと思おう。今までそれら工夫のすべてが「原子力安全神話」に抵触するものとして推進を阻まれてきた、そう考える。 東電はその「信仰」により、自らの顧客である国民に対しその国土に広大な「廃墟」を作り出して見せたのだ。現状の長くかかる処理に専念しなくてはならない。昨日までの不遜な独占は根拠を失っている。
以下 賀川さんという方のメールの一部の引用です。
友人からのメール。きちんとした説明で、だいぶ安心できました。 以下、引用(賀川) 皆さま 知り合いからこんなメールが来ました。なぜ此の様な説明を政府にしても東電にしてもテレビ局にしても出来ないのかと思います。この説明のお陰で、相当安心する事ができました。 「福島原子力発電所の事故と、東京への影響について心配している部員が多かったので、原子力工学科卒、東芝・GEで原子燃料を設計していた元エンジニアとして、下記の通り簡単に説明いたしました。長文となりますが、ご参考になれば、と思い、みなさまにも共有させていただきます。 まず、今回の地震を起因とする福島第一原子力発電所の事故については、設計時の想定をこえる事象が起きた、ということは忌忌しき事態で、大変憂慮しています。しかし、放射性物質の影響を心配して外出を控える必要は、東京都内においては、今のところはありません。(安全宣言ではありません。今後も正しい情報収集につとめるべきです)チェルノブイリで200kmも放射性物質の影響範囲があったのは、中性子の減速材として黒鉛を使っていた関係で、放射化した黒鉛(C-14)が、現場で化学的に燃えてススとなって、風に乗って降り注いだ(雨となれば「黒い雨」ですね)からであり、福島第一原子力発電所のような(沸騰水型)軽水炉では、黒鉛は使っていませんので、放射化した、軽い元素が燃えて、広範囲に大量に飛散することは考えられません。今回の場合、核分裂反応は地震直後に停止しており、問題は、崩壊熱(余熱のようなものです)が、十分除去できない状況にあって、放射性物質を完全に閉じ込められていないことです。放射性物質の飛散が考えられるシナリオは、ヨウ素のようなガス状のものが大量に放出されるか、微粒子となった固体放射性物質が爆風などで飛散する、ということで、その場合「30km圏内においては、人体に危険な放射線レベルとなる」というのが、『現時点での』『最悪のシナリオ』と、私は理解しています。パニックになることが一番危険ですので、できるだけ客観的な情報をもとに、冷静な判断、冷静な対応をしましょう。 今後のポイントは、 ・崩壊熱を十分除去するための注水、と ・注水するために必要な格納容器内の減圧・使用済み燃料プールへの注水となります。圧力容器と、格納容器は、通常時は密閉性の高いものですが、ポンプの注水圧力よりも、中の圧力が下がらないと注水できないため、この密閉性を犠牲にして、弁を開けています。ここから出てくる蒸気が放射化しているため、周囲の放射線量が高くなっているのです。(2号機においては、格納容器の圧力を調整する、圧力抑制室の一部に破損が起きて、予定外に放射化した蒸気が出てきている可能性があります)放射線の強さは、その線源からの距離の二乗に反比例して弱まります。東京-福島が約250kmとすると、発電所から30kmの地点の約1.4%程度になります。繰り返しになりますが、東京で放射線を心配して、外出を控える必要は、今のところありません。現場では、不眠不休で作業員が「減圧」と「注水」のために自身の被曝を省みず、頑張ってくれていることを思うと、胸が痛くなります。。。自衛隊も含めて頑張って欲しいです」
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by noz1969 -BLOGINDEX- ライフログ
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